魚津市立村木小学校
富山県魚津市にあった小学校
魚津市立村木小学校(うおづしりつ むらきしょうがっこう)は、富山県魚津市村木にかつて存在した小学校。
魚津市立村木小学校 | |
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北緯36度49分11秒 東経137度24分02秒 / 北緯36.81986度 東経137.40042度座標: 北緯36度49分11秒 東経137度24分02秒 / 北緯36.81986度 東経137.40042度 | |
過去の名称 |
魚津尋常小学校 村木尋常小学校 村木国民学校 富山県下新川郡村木小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 魚津市 |
設立年月日 | 1909年1月8日 |
閉校年月日 | 2018年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒937-0053 |
富山県魚津市村木町1-21 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集魚津市の村木地区(いわゆる、鴨川以北の地域)を通学区域としていた。体育館下のピロティーには、日本カーバイド工業魚津工場から魚津市に寄贈された蒸気機関車が置かれている。
旧校舎は2018年6月から10月にかけて改修され、同年12月1日より1階に村木公民館(児童玄関は多目的ホール)、2階に魚津せり込み蝶六保存会の練習場および放課後児童クラブの活用スペース、3階に魚津市教育センターが入居する複合施設として運用されることになった[1]。また、2020年度には、一部(2階の3教室)を県内初の企業用サテライトオフィスの体験施設「お試しオフィス」として整備される[2]。
沿革
編集個別に出典が提示されていない箇所の出典→[3]
- 1907年、新校舎の建設が決定。
- 1908年末、下新川郡魚津町大字金浦町に、工費24,000余円で竣工。同年12月24日、神明川以東の児童を魚津町立魚津尋常高等小学校(後の魚津市立大町小学校)から分離し、12学級の『魚津尋常小学校』と称した。
- 1909年1月8日、開校。当時の校舎は各地の学校を参考にした最新式のもので、下新川郡内一の立派なものといわれた。
- 1923年、講堂新築。
- 1930年、特別教室3、普通教室1増築。
- 1934年、『村木尋常小学校』に改称。
- 1941年、『村木国民学校』に改称。
- 1947年、『富山県下新川郡村木小学校』に改称。
- 1952年、『魚津市立村木小学校』に改称。
- 1956年9月10日、魚津大火により木造校舎を焼失。これ以降大町小学校、本江小学校、東部中学校、西部中学校、魚津高等学校、道下公民館で分散授業を実施。
- 1957年7月31日、新校舎の建設に着手[4]。
- 1958年
- 1959年11月、富山県教育委員会から優良校として表彰される。
- 1966年7月10日、プール竣工(工費540万円)[7]。
- 1987年7月、前述の校舎が国の老朽危険校舎として指定される。これを機に校舎の改築が決定する[8]。
- 1988年11月30日、鉄筋コンクリート3階建て、延床面積3,900 m2の校舎竣工[1][9]。
- 1990年1月8日、体育館完成に伴い、同日に校舎体育館の竣工式を挙行[10]。
- 2018年
本校出身の著名人
編集- 宇田新太郎(第一回卒業生の一人)
脚注
編集- ^ a b c 富山新聞 2018年11月30日付26面『あすから複合施設に 魚津・旧村木小学校』より。
- ^ 『北日本新聞』2020年2月21日付23面『旧村木小を改装 お試しオフィス』より。
- ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月20日、魚津市役所発行)483 - 485頁。
- ^ a b 『魚津大火復興50周年記念誌 魚津大火の記録』(平成18年(2006年)9月9日、魚津市発行)76ページ
- ^ a b 『魚津大火復興50周年記念誌 魚津大火の記録』(平成18年(2006年)9月9日、魚津市発行)77ページ
- ^ 『魚津大火復興50周年記念誌 魚津大火の記録』(平成18年(2006年)9月9日、魚津市発行)139ページ
- ^ 『魚津市広報』昭和41年8月号(No.240)、1頁『村木小学校のプール完成』より。
- ^ 『広報うおづ』昭和63年1月号(No.506)、4頁『村木小学校 改築に着手 63年11月完成予定』より。
- ^ 『広報うおづ』昭和64年1月号(No.518)、17頁より。
- ^ 『広報うおづ』平成3年1月号(No.542)、16頁『1990年の主なできごと』より。
- ^ 広報うおづ 2018年4月号2ページ『歴史に幕 大町小・村木小・本江小・上野方小 それぞれの思い出を胸に…』