面谷 誠(おもだに せい、明治37年(1904年10月31日 - 昭和46年(1971年))は日本実業家。銘酒暁山醸造元、面谷合名会社代表社員。元境港商工会議所会頭、顧問。

経歴

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鳥取県境港市出身。米子中学校(現米子東高校)卒業後、東京大蔵省醸造試験所に入所。翌年、試験所の課程を修了すると、帰郷して家業に従事する。

昭和19年(1944年)面谷合名会社の代表社員に就任。鳥取県酒造組合理事、鳥取県醤油工業協同組合理事を歴任。酒造業界の発展に尽力。

昭和23年(1948年境港商工会議所会頭に就任。

境町学務委員をはじめ、境高等学校水産教育振興会会長も務め、教育会でも活躍した。

面谷合名会社

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酒面谷酒類醤油醸造場として、明治4年(1871年)創業、昭和17年(1942年)根平、面谷支店、生中各店の権利を譲り受ける。白滝・白玉・境港の三銘酒のを作っていたが、大正13年(1924年)勅題「暁山雲」にちなみ「暁山」に改め、年産380キロリットルを生産している。うち一般酒「暁山」が90パーセントを占めるが、一級原酒「竜吟」、土産用「五本松」、吟造手造り「ハイ暁山」と新製品の開発に努めた。[1]

参考文献

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  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 オ…93頁

関連

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脚注

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  1. ^ 『境港市史 下巻』昭和61年 26-27頁

外部リンク

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