青木大吉
日本の公認会計士、税理士
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青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2日 - 1994年(平成6年)1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した[1]。日本の原価計算の祖と呼ばれる。[要出典]
経歴
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- 1896年(明治29年)佐賀県七山村(現唐津市)に生まれる。佐賀県立唐津中学校卒業後、海軍経理学校に入校。
- 1919年(大正8年)10月30日 海軍経理学校生徒卒業
- 1920年(大正9年)4月1日 海軍経理学校普通科学生卒業。艦船部隊勤務、戦艦「比叡」乗組
- 1921年(大正10年)12月2日 第22駆逐隊。
- 1922年(大正11年)2月16日 第3艦隊司令部
- 1923年(大正12年)4月 海防艦「磐手」乗組
- 6月 練習艦隊
- 1924年(大正13年)5月10日 第14駆逐隊主計長心得
- 12月1日 海軍主計大尉
- 12月29日 正七位。
- 1925年(大正14年)2月17日 馬公要港部部員兼分隊長
- 1926年(大正15年)12月1日 第14駆逐隊主計長
- 1927年(昭和2年)11月1日 呉鎮守府、呉海軍工廠長承令服務
- 1928年(昭和3年)11月16日 広海軍工廠会計部工場庫主管兼会計部部員
- 1929年(昭和4年)8月24日 海軍省人事局服務
- 11月30日 海軍経理学校高等科学生入学
- 1930年(昭和5年)11月24日 海軍経理学校高等科学生卒業
- 1931年(昭和6年)12月1日 海軍主計少佐、呉海軍工廠会計部工場庫主管兼会計部部員。
- 1933年(昭和8年)12月1日 海軍経理学校選科学生入学
- 1934年(昭和9年)11月14日 海軍経理学校選科学生卒業
- 11月15日 呉海軍工廠会計部工場庫主管兼会計部部員。
- 1936年(昭和11年)12月1日 海軍主計中佐
- 1937年(昭和12年)10月25日 海軍艦政本部部員
- 11月15日 海軍大学校教官。
- 1939年(昭和14年)11月1日 海軍経理学校教官
- 1940年(昭和15年)4月29日 勲三等旭日章
- 8月15日 海軍省経理局局員兼職
- 1941年(昭和16年)5月15日 海軍省経理局局員
- 10月15日 海軍主計大佐、海軍省経理局第六課長。
- 1943年(昭和18年)6月1日 第一南遣艦隊主計長
- 1944年(昭和19年)6月1日 横須賀海軍工廠会計部計算課長
- 1945年(昭和20年)2月15日 第二海軍技術場会計部長
- 1946年(昭和21年)4月1日 復員事務官(二級)
- 1947年(昭和22年)4月30日 依頼免本官
- 1950年(昭和25年)2月25日 日本公認会計士協会常務理事
- 4月10日 公認会計士登録
- 5月12日 日本公認会計士協会九州支部長
- 1951年(昭和26年)9月26日 日本公認会計士協会北九州支部長
- 1953年(昭和28年)8月 九州産業経理協会理事長
- 1955年(昭和30年)4月1日 福岡大学非常勤講師(会計学)
- 1956年(昭和31年)4月1日 長崎県立短期大学非常勤講師(原価計算)
- 1959年(昭和34年)4月1日 福岡大学非常勤講師(税法)
- 1966年(昭和41年)12月1日 日本公認会計士協会副会長
- 1967年(昭和42年)9月1日 公認会計士第3次試験委員
- 1968年(昭和43年)5月8日 等松・青木・津田・塚田・青木・宇野・月下部会計事務所(現・有限責任監査法人トーマツ)創立[1]、代表社員
- 1969年(昭和44年)2月 等松・青木・津田・塚田・青木・宇野・月下部会計事務所を 等松・青木監査法人に名称変更[1]
- 1969年(昭和44年)6月23日 日本公認会計士協会相談役
- 1971年(昭和46年)8月 公認会計士資格審査会委員
- 12月23日 銀杯
- 1972年(昭和47年)2月17日 現・デロイト トウシュ トーマツ包括代表社員
- 1973年(昭和48年)10月8日 大蔵大臣章
- 1979年(昭和54年)6月1日 現・デロイト トウシュ トーマツ本部および地区相談役
- 1994年(平成6年)1月12日 現役(相談役)のまま 自宅にて永眠