陸中銀行
概要
編集1933年(昭和8年)盛岡銀行の営業免許の取消し後、普通4行、貯蓄1行の5銀行体制がしばらく続いたが、同年、三陸強震に伴う大津波の襲来、翌1934-1935年(昭和 9-10年)の冷害による大凶作があり、岩手県全体が財政上にも大きな痛手を被るに至り、1938年(昭和13年)、岩手、第八十八、第九十の3銀行が合併して陸中銀行となり、西磐井郡一関町(一関市)に開業し、岩手殖産、岩手貯蓄、陸中の3行体制となった[1]。 1941年(昭和16年)8月岩手殖産銀行は、陸中銀行から資産負債および職員も譲り受けて買収合併という形で陸中銀行を解消し、1県に1銀行在置という統制経済となり、その後は戦時金融の期に入っていった[2]。
沿革
編集(旧)岩手銀行
編集岩手銀行(いわてぎんこう)は、かつて岩手県に存在した銀行である。同一商号を使用しているが、(現)岩手銀行とは同名異社である。
1907年(明治40年)第九十銀行取締役だった小野慶蔵は、ほかの重役陣と経営方針があわず、全ての持株を時価で役員に譲渡して岩手銀行を設立。創業時の資本金は50万円 [3]。
1911年(明治44年)には預貸金とも第九十銀行をしのぎ、5年で盛岡銀行に迫るほどの急成長をとげて県下有数の銀行となった。
参考文献
編集- 『岩手県史 第10巻 近代篇 5 岩手県篇(その3)』岩手県、1965年3月30日。