長浦村 (新潟県)
日本の新潟県北蒲原郡にあった村
長浦村(ながうらむら)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった村。1959年7月22日の合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。
ながうらむら 長浦村 | |
---|---|
廃止日 | 1959年7月22日 |
廃止理由 |
編入合併 長浦村 → 豊栄町 |
現在の自治体 | 新潟市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 北蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 18.59 km2. |
総人口 |
7,531人 (推計人口、1959年7月21日) |
隣接自治体 | 新潟市、豊栄町、笹神村、水原町、京ヶ瀬村 |
長浦村役場 | |
所在地 | 新潟県北蒲原郡長浦村大字浦木 |
座標 | 北緯37度53分09秒 東経139度12分48秒 / 北緯37.88583度 東経139.21339度座標: 北緯37度53分09秒 東経139度12分48秒 / 北緯37.88583度 東経139.21339度 |
ウィキプロジェクト |
以下の記述は合併直前当時の旧長浦村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
沿革
編集- 1901年(明治34年)11月1日 - 北蒲原郡長場村、亀浦村、嘉山村(一部)が合併して、長浦村が発足。村役場は大字浦木に設置[1]。
- 1916年(大正5年)5月1日 - 水原町、京ヶ瀬村との境界変更[2]。
- 1952年(昭和27年)12月1日 - 北蒲原郡神山村の一部を編入。
- 1955年(昭和30年)
- 2月4日・2月5日 - 町村合併促進法により、この日行われた臨時村議会にて、葛塚町・木崎村・岡方村との合併協議会設置を決定(賛成12、反対7)[3]
- 2月12日 - この日行われた臨時村議会にて、合併案を否決[3]。
- 3月4日 - この日行われた臨時村議会にて、賛成12、反対4、白票3にて、一転して合併案可決。3月6日には4町村で合併調印式が行われる[3]。
- 3月下旬 - 合併案可決に反して村内では合併反対の動きが大きくなり、村を二分するほどの混乱となる。村内の小学校体育館にて合併反対村民大会開催。合併反対派、県議会へ陳情を行う。最終的に県は本村の合併を時期尚早とし、合併保留とする[3]。
- 3月31日 - 葛塚町・木崎村・岡方村が合併し、北蒲原郡豊栄町成立。本村が合併しなかったため、この時点での豊栄町は旧岡方村地区が飛び地状態となる[3]。
- 1956年(昭和31年)12月27日 - この年6月施行の新市町村建設促進法施行により、同法による合併勧告第一号として、県より豊栄町と共に合併勧告を受ける[3]。
- 1959年(昭和34年)
地名について
編集中南部を形成している旧長場村の「長」と北部を形成している亀浦村の「浦」をつなげて、村名となっている。
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行政
編集歴代村長
編集- 官選制村長時代
- 芳賀銀次郎[4]
- 羽賀浩次(1902年ごろ - 1903年ごろ)[4][5]
- 長場竜太郎(1903年ごろ - 1904年ごろ)[4][6]
- 芳賀銀次郎(1904年ごろ - 1912年ごろ)[7][8][9][10][11][12][13][14]
- 羽賀浩次(1912年ごろ - 1916年ごろ)[15][16][17][18]
- 長場竜太郎(1916年ごろ - 1917年ごろ)[19]
- 芳賀銀次郎(1917年ごろ - 1922年ごろ)[20][21][22][23][24]
- 嘉藤九蔵(1922年ごろ)[4][25]
- 長場尚太郎(1924年ごろ - 1927年ごろ)[4][26][27][28]
- 川瀬五郎(1927年ごろ - 1928年ごろ)[4][29]
- 長場尚太郎(1928年ごろ - 1936年ごろ)[30][31][32][33][34][35][36][37][38][39][40]
- (不在)(1936年ごろ - 1937年ごろ)[41]
- 田中恭吾(1937年ごろ - 1938年ごろ)[4][42]
- 長場誠(1938年ごろ - 1939年ごろ)[4][43][44]
- 池田與司(1940年ごろ - 1944年ごろ)[4][45][46][47][48][49][50][51]
- 石栗祐七[4]
- 民選制村長時代
学校
編集小学校
編集- 長浦村立下土地亀小学校
- 長浦村立上土地亀小学校
- 長浦村立長場小学校
- 長浦村立岡新田小学校
中学校
編集- 長浦村立長浦中学校
高等学校
編集- 新潟県立水原高等学校長浦分校
交通
編集道路
編集県道
編集- 葛塚水原線[4](現新潟県道15号新潟長浦水原線の一部)
- 葛塚新潟線[4](同上)
出身人物
編集脚注
編集注釈
出典
- ^ 新潟県市町村便覧、p.4
- ^ “『町村境界変更』官報. 1916年05月27日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年2月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 新潟市『特集 20周年に考える』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “『豊栄広報』第19号 p. 3”. 豊栄町 (1959年7月22日). 2015年12月21日閲覧。
- ^ 職員録. 明治35年(乙) p.106
- ^ 職員録. 明治36年(乙) p.103
- ^ 職員録. 明治37年(乙) p.103
- ^ 職員録. 明治38年(乙) p.103
- ^ 職員録. 明治39年(乙) p.107
- ^ 職員録. 明治40年(乙) p.117
- ^ 職員録. 明治41年(乙) p.134
- ^ 職員録. 明治42年(乙) p.144
- ^ 職員録. 明治43年(乙) p.151
- ^ 職員録. 明治44年(乙) p.162
- ^ 職員録. 明治45年(乙) p.168
- ^ 職員録. 大正2年(乙) p.163
- ^ 職員録. 大正3年(乙) p.175
- ^ 職員録. 大正4年(乙) p.174
- ^ 職員録. 大正5年(乙) p.176
- ^ 職員録. 大正6年(乙) p.180
- ^ 職員録. 大正7年 p.768
- ^ 職員録. 大正8年 p.878
- ^ 職員録. 大正9年 p.956
- ^ 職員録. 大正10年 p.1038
- ^ 職員録. 大正11年 p.976
- ^ 職員録. 大正13年 p.1021
- ^ 職員録. 大正14年7月1日現在 p.921
- ^ 新潟県職員録. 大正15年8月1日現在 p.282
- ^ 職員録. 昭和2年7月1日現在 p.724
- ^ 職員録. 昭和3年7月1日現在 p.746
- ^ 職員録. 昭和5年7月1日現在 p.847
- ^ 職員録. 昭和6年7月1日現在 p.874
- ^ 職員録. 昭和7年7月1日現在 p.867
- ^ 職員録. 昭和8年7月1日現在 p.896
- ^ 職員録. 昭和9年8月1日現在 p.915
- ^ 職員録. 昭和10年7月1日現在 p.941
- ^ 新潟県年鑑(昭和八年度版)、市町村政要覧 p.4
- ^ 新潟県年鑑(昭和九年度版)、町村長・助役・収入役一覧 p.2
- ^ 新潟県年鑑(昭和十年版)、第三 p.15
- ^ 新潟県年鑑(昭和十一年版)、市町村長一覧 p.1
- ^ 職員録. 昭和11年7月1日現在 p.950
- ^ 職員録. 昭和12年7月1日現在 p.901
- ^ 職員録. 昭和13年7月1日現在 p.968
- ^ 職員録. 昭和14年7月1日現在 p.1037
- ^ 新潟県年鑑(昭和十六年版)、附録 p.43
- ^ 新潟県年鑑(昭和十七年版)、附録 p.5
- ^ 新潟県年鑑(昭和十八年版)、附録 p.77
- ^ 新潟県年鑑(昭和十九年版)、附録 p.62
- ^ 新潟県年鑑(昭和二十年版)、附録 p.4
- ^ 新潟県職員録. 昭和16年9月1日現在 p.420
- ^ 新潟県職員録. 昭和18年2月1日現在 p.437
- ^ 『広報とよさか』第489号 p.4 (PDF) (2001年1月15日)
- ^ 略歴 - 彫刻家・早川亜美に関する一考察 P.156
参考文献
編集- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『新潟県市町村便覧』擁天堂、1902年6月15日。
- 『職員録. 明治35年(乙)』印刷局、1902年8月20日。
- 『職員録. 明治36年(乙)』印刷局、1903年7月30日。
- 『職員録. 明治37年(乙)』印刷局、1904年7月30日。
- 『職員録. 明治38年(乙)』印刷局、1905年8月19日。
- 『職員録. 明治39年(乙)』印刷局、1906年8月30日。
- 『職員録. 明治40年(乙)』印刷局、1907年8月17日。
- 『職員録. 明治41年(乙)』印刷局、1908年7月29日。
- 『職員録. 明治42年(乙)』印刷局、1909年7月23日。
- 『職員録. 明治43年(乙)』印刷局、1910年7月21日。
- 『職員録. 明治44年(乙)』印刷局、1911年7月21日。
- 『職員録. 明治45年(乙)』印刷局、1912年7月19日。
- 『職員録. 大正2年(乙)』印刷局、1913年9月27日。
- 『職員録. 大正3年(乙)』印刷局、1914年7月25日。
- 『職員録. 大正4年(乙)』印刷局、1915年7月28日。
- 『職員録. 大正5年(乙)』印刷局、1916年。
- 『職員録. 大正6年(乙)』印刷局、1917年8月15日。
- 『職員録. 大正7年』印刷局、1918年。
- 『職員録. 大正8年』印刷局、1919年11月22日。
- 『職員録. 大正9年』印刷局、1921年2月12日。
- 『職員録. 大正10年』印刷局、1921年12月15日。
- 『職員録. 大正11年』印刷局、1922年11月25日。
- 『職員録. 大正13年』印刷局、1924年10月30日。
- 『職員録. 大正14年7月1日現在』内閣印刷局、1925年9月28日。
- 『新潟県職員録. 大正15年8月1日現在』新潟県知事官房、1926年9月13日。
- 『職員録. 昭和2年7月1日現在』内閣印刷局、1927年9月26日。
- 『職員録. 昭和3年7月1日現在』内閣印刷局、1928年9月26日。
- 『職員録. 昭和5年7月1日現在』内閣印刷局、1930年10月10日。
- 『職員録. 昭和6年7月1日現在』内閣印刷局、1931年10月30日。
- 『職員録. 昭和7年7月1日現在』内閣印刷局、1932年10月27日。
- 『職員録. 昭和8年7月1日現在』内閣印刷局、1933年10月16日。
- 『職員録. 昭和9年8月1日現在』内閣印刷局、1934年11月7日。
- 『職員録. 昭和10年7月1日現在』内閣印刷局、1935年10月29日。
- 『新潟県年鑑(昭和八年度版)』新潟県年鑑社、1933年3月25日。
- 『新潟県年鑑(昭和九年度版)』新潟毎日新聞社、1933年12月31日。
- 『新潟県年鑑(昭和十年版)』新潟毎日新聞社、1934年12月7日。
- 『新潟県年鑑(昭和十一年版)』新潟毎日新聞社、1936年1月5日。
- 『職員録. 昭和11年7月1日現在』内閣印刷局、1936年10月23日。
- 『職員録. 昭和12年7月1日現在』内閣印刷局、1937年10月20日。
- 『職員録. 昭和13年7月1日現在』内閣印刷局、1938年10月5日。
- 『職員録. 昭和14年7月1日現在』内閣印刷局、1939年10月5日。
- 『新潟県年鑑(昭和十六年版)』新潟毎日新聞社、1940年12月1日。
- 『新潟県年鑑(昭和十七年版)』新潟日日新聞社、1941年11月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和十八年版)』新潟日報社、1942年12月10日。
- 『新潟県年鑑(昭和十九年版)』新潟日報社、1943年12月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和二十年版)』新潟日報社、1944年12月31日。
- 『新潟県職員録. 昭和16年9月1日現在』新潟県総務部人事課、1941年10月27日。
- 『新潟県職員録. 昭和18年2月1日現在』新潟県内政部人事課、1943年4月5日。