輪島港
石川県輪島市の港
概要
編集出典→[1]
- 泊地面積 - 約197km2
- 船路 - 約8.9km2
- 船揚場279m、物揚場約1km、網干場80mなど約2.2km
- 防波堤 - 732m
- 砂防提 - 118m
- 導流提 - 168m
- 突堤 - 319m
- 護岸 - 約3.6km
- 道路 - 約1.6km
- 航路標識(灯台) - 3ヶ所
- 給油施設 - 1ヶ所
沿革
編集中世には、廻船式目において三津七湊の七湊の一つに数えられ[1]、近世からは北前船の寄港地として栄えた。日本海を航行する船舶にとって、能登半島沖は通過が困難な難所であり、能登半島の先端に近い輪島港は寄港地・避難港として適していた。
1951年(昭和26年)には避難港に指定された[1]。1953年(昭和28年)から防波堤の建設が始まり、1972年(昭和47年)に輪島港整備計画(輪島新港素案)が制定され、1978年(昭和53年)より避難港としての防波堤整備が着工した(この時点では1990年完成目標となっていた)[2]。以後現在に至るまで、防波堤及び泊地の建設が続いている。
2010年(平成22年)5月、輪島港周辺を埋め立てて建設された輪島港マリンタウンが開港(旅客船岸壁供用開始)した[3](完成は2015年〔平成27年〕3月29日[4])。マリンタウンはみなとオアシスの登録をしていて、観光交流施設を代表施設とするみなとオアシス輪島マリンタウンとして観光拠点ともなっている。またマリンタウン内のボートパークはわじま海の駅として海の駅の登録をしている。
2024年(令和6年)1月1日の能登半島地震の影響により、海底が隆起したことで、水深が浅くなり、船体が海底につかえ、大きく傾き、いくつもの船が座礁する被害が発生した[5]。国土交通省は、同年2月16日より港を1-2m程度掘り下げる工事に着手した[6]。
航路
編集脚注
編集- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 17 石川県』(1981年7月8日、角川書店発行)970頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 17 石川県』(1981年7月8日、角川書店発行)971頁
- ^ みなとオアシス輪島(国土交通省北陸地方整備局 金沢港湾・空港整備事務所、2024年1月16日閲覧)
- ^ 輪島港マリンタウンの完成(2024年1月16日閲覧)
- ^ 〈1.1大震災〉「おらの船助からんのか」 輪島港、嘆く漁師(北國新聞DIGITAL、2024年1月16日閲覧)
- ^ “海底地盤が2メートル隆起 輪島港で海底の土砂取り除く工事始まる 漁船150隻救出へ 完了時期は未定”. 石川テレビ (2024年2月16日). 2024年2月16日閲覧。
- ^ 定期船『希海』運航時間(能登輪島.jpサイト、2024年1月16日閲覧)
外部リンク
編集- 輪島港 - 石川県土木部奥能登土木総合事務所
- 輪島港 - 国土交通省北陸地方整備局金沢港湾・空港整備事務所
- みなとオアシス輪島マリンタウン - 国土交通省北陸地方整備局港湾空港部
- わじま海の駅 - 海の駅ネットワーク事務局