越智家教
越智 家教(おち いえのり)は、戦国時代の武将。官位は弾正忠。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 延徳元年(1489年)? |
死没 | 永正14年4月7日(1517年5月7日) |
改名 | 春竹(幼名)→家教 |
官位 | 弾正忠 |
氏族 | 大和越智氏 |
父母 | 父:越智家令 |
兄弟 | 家教、筒井順賢室、筒井順興室 |
子 | 家栄、家頼 |
略歴
編集永正4年(1507年)、父・家令が赤沢朝経の大和侵攻の最中に死去したとされ、跡を継いだ。同年、永正の錯乱で細川政元が暗殺され、赤沢朝経も丹後国で戦死した。
しかし、翌年に前将軍・足利義稙が大内義興の後ろ盾で上洛し、それに伴い大和に影響力を持つ細川氏と畠山氏も再び2派に分かれ、大和国人一揆も崩壊、家教と古市澄胤は足利義澄・細川澄元・畠山義英に、筒井順賢、十市遠治らは足利義稙・細川高国・畠山尚順についた。