賀茂光栄
平安時代中期の貴族・陰陽家
賀茂 光栄(かも の みつよし)は、平安時代中期の貴族・陰陽家。丹波権介・賀茂忠行の孫で、陰陽頭・賀茂保憲の長男。官位は従四位上・右京権大夫。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 天慶2年(939年) |
死没 | 長和4年6月7日(1015年6月25日) |
官位 | 従四位上・右京権大夫 |
主君 | 村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇→一条天皇 |
氏族 | 賀茂朝臣氏 |
父母 | 父:賀茂保憲 |
兄弟 | 光栄、光国、光輔、女子 |
妻 | 弓削仲宣娘 |
子 | 守道、義行 |
経歴
編集暦博士・天文博士・大炊頭・主計頭などを歴任、一説には陰陽允を歴任したというが可能性は低い。一条朝初頭の長徳4年(998年)大炊権頭から大炊頭に昇任されるが、職務に堪えられるかどうかはわからないが、一道(陰陽道)の長であることを以て任ぜられたという。長保2年(1000年)弟の前内蔵允・賀茂光国に暦道を習伝させるよう命ぜられている[1]。
祖父・父に同じく抜群の腕を持つ陰陽師であったという。父・保憲は家学であった陰陽道のうち暦道を光栄に、天文道を愛弟子の安倍晴明に譲り、陰陽道の二大宗家「安賀両家」が成立した。光栄はなぜ賀茂氏の家学である陰陽道を分割してまで安倍氏に宗家の地位を与えたのか疑問に思っていたらしく、晴明と争論したという[2]。
官歴
編集系譜
編集登場する創作作品
編集脚注
編集参考文献
編集- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年