言語ゲーム英語: language-game[注釈 1][注釈 2]とは、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが提唱した言語活動をゲームとして比喩したもので、特に側から見ると意味不明なやりとりとなっているものを言う。

概説

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後期と呼ばれる時期の主著『哲学探究』において、言語活動ゲームとして捉え、言葉の意味を、外延(対象)や内包(共通性質)ではなく、特定のゲームにおける機能として理解すべきと主張した。なお、『哲学探究』はもともとは改めて『論理哲学論考』と一緒に公刊されることを意図されていた[2]

また、この言語ゲームそのものもすべてに共通する内包を持たず、親戚関係のように緩い連鎖によって一体化しているにすぎない(家族的類似)。

ウィトゲンシュタインは、この言語ゲームのアイディアにおいて、従来の哲学を言語ゲームから離れてしまって言葉の意味を考察する病とし、「ハエをハエ取り壺から出してやる」ように言葉をその本来の言語ゲームにおいて理解すべきことを論じた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「言語ゲーム」という言葉は、原典では "Sprachspiel"(ドイツ語)であり、ドイツ語で "Spiel" は英語の "play" に近い言葉で、日本語に直訳するなら「言葉遊び」や「言葉劇」となる[1]
  2. ^ 英語では「ゲームgame」と表現しているが、勝敗を決める場があるわけではない。ドイツ語の「言語Spiel」は「言語の機動的なふるまい」といったニュアンスであり、こちらのほうが端的に理解される。たとえば、石材運びのゲームにおいて「角石」という言葉は「角石をもってこい」という意味であり、それ以外のゲームでは同じ「角石」という言葉がまったく別の意味(機能)を持ちうる。それは、トランプジョーカーの意味がそれを用いて遊ぶゲームによって異なるのと同様である。

出典

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  1. ^ 伊藤 晃一 (2016). “授業というゲームをどう変えるか: ある定時制高校で行われた授業をたよりに”. 教育におけるゲーミフィケーションに関する実践的研究: 2. 
  2. ^ 飯田 2005, pp. 220–222.

参考文献

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  • 伊藤邦武「言語ゲーム理論」『プラグマティズム入門』〈ちくま新書〉2016年、185-186頁。ISBN 9784480068705 
  • ウィトゲンシュタイン『哲学探究』
  • 飯田, 隆『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』講談社、2005年。 

関連項目

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外部リンク

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