西村吉正
日本の官僚
西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12月15日[1] - 2019年(令和元年)9月8日[2])は、日本の官僚。元大蔵省銀行局長。早稲田大学教授。博士(学術)。滋賀県大津市出身。瑞宝中綬章受章者。
略歴
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 京都府立福知山高等学校卒業
- 1962年(昭和37年) 国家公務員採用上級甲種試験(法律)をトップで合格[3]
- 1963年(昭和38年) 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[4]、大蔵省入省(主計局総務課)[5]
- 1966年(昭和41年)4月 大蔵省大臣官房調査課
- 1967年(昭和42年)4月 経済企画庁国民生活局物価政策課専門調査員[6]
- 1969年(昭和44年)7月17日 芦屋税務署長
- 1970年(昭和45年)7月 大蔵省理財局国有財産総括課長補佐 (宿舎総括一・宿舎設置)[7]
- 1971年(昭和46年)11月 大蔵省主計局調査課長補佐(総括)[8]
- 1973年(昭和48年)7月 大蔵省主計局主計官補佐(防衛第二係主査)
- 1975年(昭和50年)7月 大蔵省主計局主計官補佐(農林第四係主査)
- 1976年(昭和51年)7月 大蔵省理財局資金第一課長補佐(総括・企画)[9]
- 1978年(昭和53年)7月 大蔵省理財局付(外務研修)
- 1979年(昭和54年)5月10日 外務省欧州共同体日本政府代表部一等書記官併任在ベルギー日本国大使館
- 1980年(昭和55年)1月 外務省欧州共同体日本政府代表部一等書記官併任在ベルギー日本国大使館
- 1982年(昭和57年)6月18日 大蔵省主計局給与課長
- 1984年(昭和59年)6月27日 大蔵省主計局主計官(防衛担当)
- 1986年(昭和61年)6月10日 経済企画庁総合計画局計画課長
- 1988年(昭和63年)6月15日 大阪税関長
- 1989年(平成元年)6月23日 大蔵省大臣官房審議官兼銀行局金融先物取引所監理官
- 1990年(平成2年)6月29日 免兼銀行局金融先物取引所監理官
- 1992年(平成4年)6月23日 大蔵省大臣官房審議官・日本銀行政策委員会大蔵省代表委員
- 1992年(平成4年)6月26日 大蔵省会計センター所長兼財政金融研究所長
- 1994年(平成6年)7月1日 大蔵省銀行局長
- 1996年(平成8年)7月26日 依願退官
- 1997年(平成9年) 早稲田大学教授
- 2003年(平成15年)6月30日 博士(学術)(早稲田大学)
- 2004年9月 - 2006年9月 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科長[12]
- 2011年(平成23年)4月29日 瑞宝中綬章受章[13]
- 2019年(令和元年)9月8日、 急性心不全のため、自宅で死去[2]。78歳没。死没日をもって正四位叙位[14]。
大蔵省入省同期
編集著書
編集脚注
編集- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.334
- ^ a b “西村吉正氏が死去 元大蔵省銀行局長、住専処理担当”. 共同通信. (2019年9月12日) 2019年9月12日閲覧。
- ^ 中島孝志『「頭のいい人」のすごい習慣:「思考力」「情報力」「表現力」の磨き方』マガジンハウス、2009年6月25日発行、51頁
- ^ 『東大人名録 第1部』1992年発行、48頁
- ^ 『財務省名鑑 1994年版』時評社、1994年1月発行、118・125頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1967年発行、174頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1971年発行、475頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1973年発行、484頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1978年発行、484頁
- ^ 『大蔵省主計局』(栗林良光、講談社)
- ^ “日本、世界での存在感低下 ジワリ衰退 危機感薄く この20年-長期停滞から何を学ぶ”. 日本経済新聞. (2010年8月1日) 2014年11月9日閲覧。
- ^ 西村 吉正 ニシムラ ヨシマサ (Yoshimasa Nishimura)researchmap
- ^ 「春の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2011年6月18日朝刊
- ^ 『官報』第111号5頁 令和元年10月15日号
外部リンク
編集
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|