蜷川 就之(にながわ なりゆき)は、江戸時代前期の武士毛利氏家臣で、長州藩士。就言(なりのぶ)とも。

 
蜷川就之
時代 江戸時代
生誕 元和8年(1622年
死没 貞享2年4月24日1685年5月26日
改名 蜷川亀之介(幼名)→蜷川就之(就言)
別名 権左衛門(通称)、就言
官位 右衛門佐(官途名
主君 毛利秀就綱広吉就
長州藩
氏族 物部氏蜷川氏
父母 父:蜷川元勝
親賢
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生涯

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元和8年(1622年)、長州藩士の蜷川元勝の子として生まれる。

寛永4年(1627年)に父・元勝が死去したため、寛永6年(1629年10月28日に父の譲状に従って200石の知行地と家督を相続した。寛永9年(1632年8月1日元服し、毛利秀就から「右衛門佐」の官途名と「就」の偏諱を与えられ、「就之(または就言)」と名乗る。

貞享2年(1685年4月24日に64歳で死去した。子の親賢(百合作、新九郎、権左衛門)が跡を継いだ。

参考文献

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