藤原良方
藤原 良方(ふじわら の よしかた)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の三男[1](異説もある)。官位は従五位上・大蔵大輔。
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、大蔵大輔 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 藤原北家 |
父母 |
父:藤原冬嗣 母:百済王仁貞の娘 |
兄弟 | 長良、良房、良方、良輔、順子、良相、良門、良仁、良世、古子 |
妻 | 不詳 |
子 | 当興、当佐、当蔭、平高望正室 |
経歴
編集仁明朝の承和6年(839年)従五位下・加賀介に叙任され、承和13年(846年)侍従に任ぜられる。
文徳朝では大蔵少輔を務め、仁寿元年(851年)10月奉幣使として香椎八幡大菩薩宮に派遣される[2]。仁寿3年(853年)従五位上に至る。
外祖父の百済王仁貞は従四位下に叙せられた中堅貴族であったが、延暦10年(791年)に没している事から、良方の誕生はそれから15年以上後と推定されている[3]。従って、その立場は弱く、承和6年(839年)に従五位下に叙せられた後、従五位上に昇進するまでに14年もかかっており、最終的には従五位上・大蔵大輔に終わっている。他の兄弟との比較では、五位に昇進する前に早世した良門を除いて、最も昇進が遅かった事から、能力的な問題もあったと考えられている。
官歴
編集『六国史』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。
脚注
編集出典
編集- 栗原弘「藤原冬嗣家族について」(初出:『阪南論集 人文・自然科学編』第27巻4号、所収:栗原『平安前期の家族と親族』(校倉書房、2008年) ISBN 978-4-7517-3940-2 第二部第二章)
- 森田悌『続日本後紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年
- 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年