藤原小屎
奈良時代後期から平安時代初期の桓武天皇の夫人。従五位上。
藤原 小屎(ふじわら の おくそ/おぐそ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての桓武天皇の夫人。中務大輔藤原鷲取の娘。官位は従五位上[1]。別名藤子[2]。
生涯
編集桓武天皇の夫人で、延暦7年(788年)に万多親王を産んだこと以外はよくわかっていない。しかし、小屎の祖父である藤原魚名は左大臣在任中の天応2年(782年)に失脚し、程なく没してしまったため、小屎の入内は祖父の名誉回復のような影響を及ぼしたとされている[3]。
また、そもそも魚名は自らの孫娘(小屎)を夫人にすることに固執したために桓武天皇の不興を買い、失脚したという説もある[4]。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 岩下紀之「桓武天皇の後宮」『愛知淑徳大学国語国文』36号、愛知淑徳大学国文学会、2013年 NAID 120005270941
- 木本好信「光仁朝以降の藤原魚名について」『甲子園短期大学紀要』32号、甲子園短期大学、2014年 NAID 110009752686