薄井 信明(うすい のぶあき 1941年1月1日 - )は、日本大蔵官僚。第43代大蔵事務次官、第31代国税庁長官を歴任。

薄井 信明
うすい のぶあき
生年月日 (1941-01-01) 1941年1月1日(83歳)
出生地 東京都の旗 東京府
出身校 東京大学経済学部経済学科
前職 国民生活金融公庫総裁
大蔵事務次官
国税庁長官
称号 経済学士(東京大学・1965年

在任期間 2003年1月12日 - 2008年10月1日

在任期間 1999年7月8日 - 2000年6月30日

在任期間 1998年1月31日 - 1999年7月8日

在任期間 1995年5月29日 - 1998年1月31日

在任期間 1991年6月11日 - 1995年5月26日

その他の職歴
日本の旗 名古屋国税局長
1990年6月29日 - 1991年6月11日)
日本の旗 大蔵省主税局総務課長
1989年6月23日 - 1990年6月29日)
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人物

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東京府生まれ。都立戸山高校から東京大学旧文科二類(現在の文科三類)に入学[1]東京大学経済学部経済学科卒業。大学時代は小宮隆太郎の下で国際金融などを学ぶ。大学在学中に国家公務員上級甲種試験(経済職)に2〜7番目の成績で合格[2]。1965年大蔵省入省。入省同期には鏡味徳房竹島一彦榊原英資浜田卓二郎根本貞夫(内閣審議官、岩手県副知事)、大塚功(駐ジャマイカ特命全権大使)、近藤健彦(駐仏公使、官房審議官、立命館アジア太平洋大教授)、谷川憲三(関東財務局長、第三銀行頭取)、東力白石忍オリックス社長)など。

キャリアの多くにおいて税制畑を歩み、竹下内閣時代の1986年に主税局税制第二課長として消費税導入に尽力したことから、同期では竹島と並んで次官レースの先頭に立ち、国税庁長官を経て事務次官に就任。時に斎藤次郎ら「主計人脈」の凋落が云われていた。東大法学部以外の出身で大蔵事務次官に就任したのは池田勇人京大法学部出身)以来。また、経済学部出身の大蔵(財務)事務次官は山際正道東大経済学部出身)以来である。当初は同期で主計畑であった竹島(当時 内閣内政審議室長)の起用案もあったが、薄井の前任の事務次官である田波耕治が「2代続けてイレギュラーな人事(田波自身も事務次官の前職は大蔵省ではなく、内閣内政審議室長)はすべきでない」と判断し、主税畑で国税庁長官だった薄井を昇格させたという[3]。退官後、政策研究大学院大学教授、2003年国民生活金融公庫総裁を経て、2008年より2011年まで株式会社日本総合研究所理事長。2021年、瑞宝重光章受章[4]

略歴

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脚注

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  1. ^ 官庁報告 文教官報 号外 第81号』
  2. ^ 榊原英資『日本を演出する新官僚像』山手書房、1977年10月発行、39頁
  3. ^ 『官界,第5~8号』行政問題研究所、2001年発行、98頁
  4. ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
  5. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1970年発行、459頁
  6. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1975年発行、490頁
  7. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1977年発行、480頁
  8. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1980年発行、495頁


その他の役職
先代
尾崎護
国民生活金融公庫総裁
2003年 - 2008年
次代
解散
官職
先代
田波耕治
  大蔵事務次官
1999年 - 2000年
次代
武藤敏郎
先代
舩橋晴雄(心得)
  国税庁長官
1998年 - 1999年
次代
伏見和彦
先代
小川是
  大蔵省主税局長
1995年 - 1998年
次代
尾原榮夫
先代
杉崎重光
  名古屋国税局長
1990年 - 1991年
次代
松川隆志
先代
中平幸典
  三重県総務部
1982年 - 1984年
次代
黒田東彦
先代
秋沢弘
  目黒税務署長
1971年 - 1972年
次代
小林猛
先代
都築弘
  伊勢税務署長
1970年 - 1971年
次代
浅見敏彦