蕭図古辞(蕭圖古辭、しょう とこじ、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。字は何寧。契丹楮特部の出身。
重熙年間に出仕し、有能で知られ、左中丞に累進した。清寧初年、北面林牙を経て、北院枢密副使となった。口がうまく、道宗の顔色をうかがってうまく応対したので、日増しに寵遇されるようになった。知北院枢密使事となった。清寧6年(1060年)、知黄龍府として出向した。清寧8年(1062年)、南府宰相に任じられた。ほどなく北院枢密使となった。
枢密使として勤めること数カ月、推薦した人物の多くが耶律重元の党与となったため、耶律重元の乱の後に罷免されて庶民とされた。後に奴隷として興聖宮に入れられ、死去した。