華蘅芳
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華 蘅芳(か こうほう、簡体字: 华 蘅芳、英語: Hua Hengfang、1833年 - 1902年)は、清末の数学者。「華衡芳」とも書く。字は「若汀」。
人物情報 | |
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別名 |
簡体字: 华 蘅芳 Hua Hengfang |
生誕 |
1833年 清 江蘇省金匱県 |
死没 | 1902年 |
学問 | |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | 墨海書館 |
経歴
編集1833年、江蘇省金匱県生まれ。幼時より数学を好み、14歳で程大位の『算法統宗』を読破した。1861年江蘇巡撫薛煥の紹介で、徐寿とともに曽国藩の幕府に入った。官は直隷州の知府となり、さらに数学の研鑚を積んだ。1862年、徐寿とともに中国初の蒸気機関を製作し、曽国藩から高く評価された。1865年には中国初の蒸気船「黄鵠号」を完成させた。1873年にはジョン・フライヤーと共に『代数学』、ブリタニカ百科事典第八版の流率の項である『微積溯源』[1]を翻訳した。1889年には天津武備学堂で熱気球を試作した。
脚注
編集- ^ 公田藏「近代日本における, 函数の概念とそれに関連したことがらの受容と普及 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1787巻、京都大学数理解析研究所、2012年4月、265-279頁、hdl:2433/172764、ISSN 1880-2818。