航空機テロ・破壊行為の一覧
航空機テロ・破壊行為の一覧(こうくうきテロ・はかいこういのいちらん)では、民間航空機に対して行われたテロ行為や破壊行為について記述する。ハイジャックによるテロ行為は航空機ハイジャック事件の一覧を参照のこと。
概要
編集テロ組織による民間航空機に対するテロ行為や、軍による民間航空機の撃墜などの破壊行為は、戦時中だけでなく平時にも偶然、故意を問わず様々な理由から多数起きている。この中には故意の破壊行為による「事件」と断定されたものの、被疑者が特定できず、その破壊行為の背景が解明されていないものも含まれている。 形態としては以下のものが挙げられる。
爆発・火災
編集機内に持ち込まれた爆発物や可燃物が爆発・炎上して飛行機を墜落せしめるもの。テロとして行われるケースと保険金目当てで行われるケースの2つに分類される。後者については、保険金をかけた人物を機体もろとも爆殺する場合と、自身に保険金をかけて自殺する場合の2つが含まれる。 保険金目当ての場合、事故だと誤認されやすいと思われて実行されるが、実際には発覚するケースが多い。墜落事故とは異なる痕跡が証拠となる残骸にしっかりと刻まれるからである。
撃墜
編集対空ミサイルによって打ち落とされる場合と、戦闘機によって撃墜される場合とに分類される。 原因も誤認や航法ルートのミスで知らない間に領空侵犯を犯すなどのミスによるもの、またテロや戦争中など故意に行われるケースに分類される。
操縦妨害
編集武器を持った乗客がコクピットに押し入ってパイロットを殺害し、その結果墜落するというもの。ハイジャックの過程でそうなる場合とは別に、パイロットや会社に個人的な怨恨を抱いていて犯行に及ぶケースがある。
故意の誤操縦
編集パイロットが故意に異常な操縦をすることによって航空機を墜落させるもの。抱えている悩みや怒りを晴らすために周りを巻き込んで自殺する場合と、やはりテロの一環として行われるケースがある。
凡例
編集- 発生日
- 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
- 製造元と機種
- 犠牲者数
- 事故の状況
- 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク
1930年代
編集1933年
編集- 1933年3月28日
- 便名: インペリアル・エアウェイズ シティ・オブ・リバプール号(機体記号:G-AACI)[1]
- 機種: アームストロング・ホイットワース アーゴシーII[1]
- 死者: 乗員乗客15人全員が死亡。
- 状況: ケルン発ロンドン行きが経由地のブリュッセルから60キロメートルの地点で機内火災を起こし墜落。機体検証の結果、火災は客室後部から発生したこと、緊急着陸を試みたが先に機体が空中分解して真二つになったことなどが分かった。また墜落現場から1.6キロメートルほど手前では、事故機から飛び降りたとみられる乗客の遺体が発見されたが、この男の顔に火傷があったことから、火災原因は彼の自殺を目的とした放火と推定されたが、確定するまでには至らなかった[2]。
- 詳細: 「インペリアル・エアウェイズ1933年ディクスマウデ墜落事故」を参照。
- 1933年10月10日
1938年
編集1940年代
編集1940年
編集1942年
編集- 1942年1月30日
- 便名: カンタス・エンパイア・エアウェイズ コリオ号(機体記号:G-AEUH)[6]
- 機種: ショート・ブラザーズ エンパイア S.23[6]
- 死者: 乗員乗客18人中13人が死亡[6]。
- 状況: オーストラリアのダーウィンからティモール島のクパンに向かっていたところ、目的地付近で作戦活動中の日本軍の戦闘機に撃墜された。
- 詳細: 「1942年カンタス航空ショートエンパイア撃墜事件」を参照。
- 1942年3月3日
1943年
編集- 1943年6月1日
- 便名: 英国海外航空 (BOAC) 777便[8]
- 機種: ダグラス DC-3-194[8]
- 死者: 乗員乗客17人全員が死亡[8]。
- 状況: ポルトガルのリスボン発イギリスのウィットチャーチ行きのBOAC機が、イギリスのウィンストン・チャーチル首相搭乗機と誤認され、ビスケー湾の公海上で作戦活動中ドイツ空軍機に撃墜される。俳優のレスリー・ハワードが巻き込まれたが、チャーチル首相と誤認されたのは彼のマネージャーだった。
- 詳細: 「レスリー・ハワード#非業の死」を参照。
1949年
編集1950年代
編集1950年
編集1953年
編集1954年
編集- 1954年2月21日
- 1954年6月3日
- 1954年7月22日
- 便名: キャセイパシフィック航空 便名不明(機体記号:VR-HEU)[13]
- 機種: ダグラス DC-4
- 死者: 乗員乗客18人中10人が死亡[13]。
- 状況: 南シナ海の公海上を飛行中、中国人民解放軍のLa-11戦闘機から突如攻撃を受けたため、エンジンと燃料タンクが被弾し、海南島沖に墜落した。
- 詳細: 「キャセイ・パシフィック航空機撃墜事件」を参照。
1955年
編集- 1955年4月11日
- 1955年7月27日
- 便名: エル・アル航空 402便[15]
- 機種: ロッキード L-149 コンステレーション[15]
- 死者: 乗員乗客58人全員が死亡。
- 状況: 航法ミスによりブルガリア領空を侵犯したエルアル機が、緊急発進したブルガリア空軍機の攻撃を受け爆発炎上、空中分解して墜落。
- 詳細: 「エル・アル航空機撃墜事件」を参照。
- 1955年11月1日
- 便名: ユナイテッド航空 629便
- 機種: ダグラス DC-6B
- 死者: 乗員乗客44人全員が死亡。
- 状況: ユナイテッド機が離陸直後に爆発・墜落。事故機に搭乗していた母親を、財産と生命保険金目的で航空事故を装い殺害するために、息子が母親に時限爆弾を持たせていたことが判明。結局、犯人は処刑された。
- 詳細: 「ユナイテッド航空629便爆破事件」を参照。
1959年
編集1960年代
編集1960年
編集1962年
編集1964年
編集1965年
編集- 1965年7月8日
- 便名: カナダ太平洋航空 21便
- 機種: ダグラス DC-6B
- 死者: 乗員乗客52人全員が死亡。
- 状況: ブリティッシュコロンビア州上空を飛行中に、保険金目当ての自殺者がトイレで酸性物質を爆発させたため空中分解し墜落した。
1967年
編集1970年代
編集1970年
編集- 1970年2月21日
- 便名: スイス航空 330便
- 機種: コンベア CV-990-30A-6 コロナド[19]
- 死者: 乗員乗客47人全員が死亡。
- 状況: スイスのチューリッヒ空港を離陸直後、イスラエル向けに発送された航空郵便の小包が爆発し、墜落。パレスチナ過激派のパレスチナ解放人民戦線 (PFLP) が犯行声明を出した。
- 詳細: 「スイス航空330便爆破事件」を参照。
1971年
編集- 1971年11月20日:
- 便名: 中華航空 825便
- 機種: シュド・アビアシオン SE-210 カラベル III
- 死者: 乗員乗客25人全員が死亡。
- 状況: 大阪国際空港から那覇、台北を経由して香港へ向かっていたが、台湾海峡でテロ[注 1] により空中爆発し墜落した[20]。
- 詳細: 「中華航空825便爆破事件」を参照。
1972年
編集- 1972年1月26日
- 便名: JATユーゴスラビア航空 367便[21]
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-9-32[21]
- 死者: 乗員乗客28人中27人が死亡。
- 状況: コペンハーゲンからベオグラードへ向かう途中、高度1万メートルを巡航中に貨物室に仕掛けられた手榴弾が爆発、チェコスロバキアのスルブスカー・カメニツェ近郊に墜落した。客室乗務員が下半身不随の重傷を負いながらも奇跡的に生還した。
- 詳細: 「JATユーゴスラビア航空機爆破事件」を参照。
- 1972年6月15日
- 便名: キャセイパシフィック航空 700Z便
- 機種: コンベア CV-880-22M-21[22]
- 死者: 乗員乗客81人全員が死亡。
- 状況: シンガポール発バンコク経由香港行きとして飛行中の700Z便が、バンコクを離陸して南ベトナムの中央高地上空8800メートルを飛行していた時に、貨物室に仕掛けられた爆弾が爆発し、サイゴンから300キロメートル離れたプレイクのジャングルに墜落した。ベトナム戦争中に戦闘区域内で発生したことから、アメリカ空軍機の誤射などによって撃墜されたという説も事件発生当初には取りざたされたが、事故原因の調査の結果、機内で発生し破片が外側に向かって飛び散った痕跡が発見されたため、爆発は機外による要因ではなく、機内で発生したことが明らかになった。タイの捜査機関は、婚約者の女性とその娘を殺害して保険金を詐取することを目的に、彼女のスーツケースに爆弾を仕掛けた被疑者として男性を逮捕したが、証拠不十分として2年後に釈放した。
- 詳細: 「キャセイ・パシフィック航空700Z便爆破事件」を参照。
1973年
編集1974年
編集1975年
編集1976年
編集- 1976年1月1日
- 便名: ミドル・イースト航空 438便
- 機種: ボーイング 720-023B
- 死者: 乗員乗客81人全員が死亡。
- 状況: オマーンの武装勢力が仕掛けた爆弾が機内で爆発し空中分解。
- 詳細: 「ミドル・イースト航空438便爆破事件」を参照。
1977年
編集1978年
編集1980年代
編集1980年
編集1982年
編集- 1982年2月9日
- 便名: 日本航空 350便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-61[30]
- 死者: 乗員乗客174人中24人が死亡。
- 状況: 統合失調症の機長が着陸直前に逆噴射したため、空港手前の海面に墜落。
- 詳細: 「日本航空350便墜落事故」を参照。
- 1982年8月11日
1983年
編集- 1983年9月1日
- 1983年9月23日
- 1983年11月8日
- 便名: TAAGアンゴラ航空 462便
- 機種: ボーイング 737-2M2
- 死者: 乗員乗客130人全員が死亡。
- 状況: アンゴラのルバンゴからルアンダへ向けて離陸した直後に墜落。政府は技術上の問題による墜落としているが、アンゴラ全面独立民族同盟は地対空ミサイルで機体を撃墜したと声明を出した。
- 詳細: 「TAAGアンゴラ航空462便墜落事故」を参照。
1985年
編集- 1985年6月23日
- 便名: エア・インディア 182便
- 機種: ボーイング 747-237B
- 死者: 乗員乗客329人全員が死亡。
- 状況: モントリオールからロンドンを経由してボンベイへ向かう便が、アイルランド沖の北大西洋上を巡航中に爆発して墜落。ほぼ同時刻に新東京国際空港(現在の成田国際空港)では、インド航空301便に搭載されることになっていた荷物が爆発し作業員2人が死亡した成田空港手荷物爆発事件が発生したことから、インド政府は政府と対立していたシーク教過激派による時限爆弾を使ったテロと断定した。また、搭乗していない乗客の荷物を航空機に搭載するという規律違反や、爆弾を見過ごした空港の警備体制も問題になった。
- 詳細: 「エア・インディア182便爆破事件」を参照。
1986年
編集- 1986年4月2日
- 便名: トランス・ワールド航空 840便
- 機種: ボーイング 727-231
- 死者: 乗員乗客122人中4人が死亡。
- 状況: ロサンゼルスからニューヨーク、ローマ、アテネを経由してカイロまでの定期便だったトランス・ワールド航空840便がギリシャ上空で爆破され、乗客4人が機外へ吸い出されたが、緊急着陸に成功した。
- 詳細: 「トランス・ワールド航空840便爆破事件」を参照。
- 1986年5月3日
- 便名: エアランカ 512便
- 機種: ロッキード L-1011 トライスター100
- 死者: 乗員乗客148人中21人が死亡。
- 状況: バンダラナイケ国際空港に駐機中、タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) によって仕掛けられた爆弾により爆発。爆弾は後部貨物室内の荷物に隠されていた。
- 1986年10月26日
1987年
編集1988年
編集- 1988年7月3日
- 便名: イラン航空 655便
- 機種: エアバス A300B2-203
- 死者: 乗員乗客290人全員が死亡。
- 状況: バンダレ・アッバース発ドバイ行きがアメリカ海軍のミサイル巡洋艦に攻撃機と誤認され、放たれた対空ミサイルによりペルシア湾上空で撃墜される。アメリカ巡洋艦は公海上にあったがイラン航空機はイラン領海上空を飛行中で、また機上には38人の外国人と66人の子供がいたことなどから国際問題化した。
- 詳細: 「イラン航空655便撃墜事件」を参照。
- 1988年12月21日
1989年
編集1990年代
編集1990年
編集- 1990年8月2日
- 便名: ブリティッシュエアウェイズ149便
- 機種: ボーイング 747-136/G-AWND
- 死者: 1
- 状況: 湾岸戦争、侵攻直後紛争国であるクウェートに着陸後、乗員乗客殆どがイラク軍に拘束監禁、バグダードに強制連行し、『人間の盾』として人質とされ、客室乗務員が強姦され、同乗していたクウェートの王族が処刑された。
なお機体も紛争により破壊されている。 - 詳細: 「ブリティッシュエアウェイズ149便乗員拉致事件」を参照
1991年
編集- 1991年11月20日
- 便名: ソビエト連邦国内軍
- 機種: ミル設計局 Mi-8
- 死者: 乗員乗客22人全員が死亡。
- 状況: 国際停戦監視団を乗せた輸送ヘリが、ナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニア人武装勢力に撃墜された。
- 詳細: 「1991年ソ連国内軍ヘリ撃墜事件」を参照。
1993年
編集1994年
編集- 1994年4月6日
- 便名: ルワンダ 大統領専用機(機体記号:9XR-NN)[39]
- 機種: ダッソー ファルコン50
- 死者: 乗員乗客12人全員が死亡[39]。
- 状況: ルワンダの首都キガリの空港へ着陸しようとしていた大統領専用機が何者かによって発射された地対空ミサイルにより撃墜された。大統領専用機に搭乗していたルワンダ大統領ジュベナール・ハビャリマナと、同乗していた隣国ブルンジの大統領シプリアン・ンタリャミラらが死亡した。このテロが、およそ80万人の犠牲者を出したルワンダ虐殺の引き金となった[40]。
- 詳細: 「ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件」を参照。
- 1994年12月11日
1997年
編集1998年
編集- 1998年9月29日
- 便名: ライオンエア 602便
- 機種: アントノフ An-24
- 死者: 乗員乗客55人全員が死亡。
- 詳細: 「ライオンエア602便撃墜事件」を参照。
- 1998年10月10日
- 便名: コンゴ航空 国内不定期便
- 機種: ボーイング 727-30
- 死者: 乗員乗客41人全員が死亡。
- 詳細: 「1998年コンゴ航空ボーイング727撃墜事件」を参照。
1999年
編集2000年代
編集2001年
編集2002年
編集- 2002年5月7日
- 便名: 中国北方航空 6136便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-82
- 死者: 乗員乗客112人全員が死亡。
- 状況: 北京発大連行きが大連空港近くの海上へ火災により墜落。債務清算のため多額の生命保険を自分にかけた乗客が、可燃性の液体をペットボトルに入れて機内に持ち込み放火した自殺だった。
- 詳細: 「中国北方航空6136便放火墜落事件」を参照。
2003年
編集- 2003年11月22日
- 便名: DHL 貨物便(運航はヨーロピアン・エア・トランスポート (en) 、機体記号:OO-DLL)[44]
- 機種: エアバス A300B4-203F[44]
- 死者: なし。
- 状況: バグダード空港を離陸直後、ウィングレットに地対空ミサイルの直撃を受け、主翼が炎上し油圧制御系統は全損となったが、バグダード空港への着陸に成功した。
- 詳細: 「DHL貨物便撃墜事件」を参照。
2004年
編集2009年
編集2010年代
編集2010年
編集- 2010年2月18日
- 便名: 個人所有機(機体記号:N2889D)
- 機種: パイパー PA-28-236 ダコタ
- 死者: 犯人と地上の1人が死亡。
- 状況: ソフトウェア・コンサルタントの男が、自家用軽飛行機でアメリカ合衆国内国歳入庁のオースティン支局に突入した。重傷者2人を含む13人が負傷した。税金に関する恨みからの自爆テロだった。
2013年
編集- 2013年11月29日
- 便名: LAMモザンビーク航空 470便
- 機種: エンブラエル ERJ-190
- 死者: 乗員乗客33人全員が死亡。
- 状況: モザンビーク・マプト発アンゴラ・ルアンダ行きの便が、ナミビアのブワブワタ国立公園に墜落した。原因は機長の意図的な墜落とされているが、動機の解明にまでは至っていない。
- 詳細: 「LAMモザンビーク航空470便墜落事故」を参照。
2014年
編集- 2014年7月17日
- 便名: マレーシア航空 17便
- 機種: ボーイング 777-2H6ER[48]
- 死者: 乗員乗客298人全員が死亡[48]。
- 状況: ウクライナ東部上空を飛行中、何者かの発射したブーク地対空ミサイルにより撃墜された。なお親ロシア派の武装勢力は関与を否定しているが、前後にウクライナ軍の戦闘機を複数撃墜している。
- 詳細: 「マレーシア航空17便撃墜事件」を参照。
2015年
編集- 2015年3月24日
- 便名: ジャーマンウイングス 9525便
- 機種: エアバス A320-211
- 死者: 乗員乗客150人全員が死亡。
- 状況: バルセロナからドイツのデュッセルドルフへ向かう途中、フランスアルプスの山岳地帯に墜落。副操縦士による意図的な墜落とされている。
- 詳細: 「ジャーマンウイングス9525便墜落事故」を参照。
- 2015年10月31日
- 便名: コガリムアビア 9268便
- 機種: エアバス A321-231
- 死者: 乗員乗客224人全員が死亡。
- 状況: エジプトのシャルム・エル・シェイク国際空港を離陸直後、シナイ半島北部に墜落した。機内で爆発が起きたテロ事件と考えられている。
- 詳細: 「コガリムアビア航空9268便」を参照。
2020年代
編集2020年
編集- 2020年1月8日
- 便名 : ウクライナ国際航空 752便
- 機種 : ボーイング737-800
- 死者 : 乗員乗客176人全員が死亡。
- 状況 : エマーム・ホメイニー国際空港から離陸直後にイスラム革命防衛隊の地対空ミサイルにより撃墜された。
- 詳細 : 「ウクライナ国際航空752便撃墜事件」
- 2020年5月4日
- 便名 : アフリカン・エクスプレス航空 貨物便
- 機種 : エンブラエル EMB 120
- 死者 : 乗員乗客6人全員が死亡。
- 状況 : ソマリアのバーデールへ向かっていたアフリカン・エクスプレス航空の貨物便がバーデル飛行場へ着陸進入中にエチオピア軍によって撃墜された。エチオピア軍の兵士は当該機が着陸する予定だと知らず、低空飛行する機体を敵対的な標的と判断し攻撃したとみられている[49]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “ASN Aircraft accident Armstrong Whitworth Argosy II G-AACI Diksmuide” (英語). Aviation Safety Network. 2017年11月12日閲覧。
- ^ a b ゲロー 1997b, p. 10.
- ^ Thomas 2008, p. 1.
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- ^ “Crash: East African Express E120 at Berdale on May 4th 2020, aircraft shot down by Ethiopian troops”. The Aviation Herald (5 May 2020). 10 May 2020閲覧。
参考文献
編集- ゲロー, デイビッド (1997a), 航空事故, 清水保俊(訳) (増改訂版 ed.), イカロス出版
- ゲロー, デイビッド (1997b), 航空テロ : 1930年から現在までの「航空犯罪」記録集 : ハイジャック、破壊工作、撃墜など民間機を襲った事件の記録と検証, 清水保俊(訳), イカロス出版, ISBN 4871491277
- Thomas, Andrew R. (2008) (English), Aviation Security Management [3 volumes], Praeger Security International, ABC-CLIO, ISBN 978-0-313-34653-8
関連項目
編集外部リンク
編集- Aviation Safety Network - 世界各地で発生した民間航空機による事故の便覧