舎密
舎密(せいみ)とは江戸時代後期の蘭学者の宇田川榕菴がオランダ語で化学を意味する単語 chemie [xeˈmi] ( 音声ファイル) を音写して当てた言葉[1][2]。
宇田川榕菴はウィリアム・ヘンリーの『Epitome of chemistry』[注 1][3]のオランダ語版を日本語に翻訳し『舎密開宗』の名で世に出した[1][2]。 一方、川本幸民はユリウス・シュテックハルトの『Die Schule der Chemie』のオランダ語版を日本語に翻訳して、中国で使用されていた「化学」の語を用いて『化学新書』という名で世に出した[1][4]。
舎密の語はその後、江戸時代後期から明治時代初期まで化学とともにどちらかといえば応用化学の分野を指す語として[要出典]併用されていた。例えば1869年(明治2年)に大阪に開設された舎密局(旧制第三高等学校の起源)に使用されており、日本化学会の前身である東京化学会では1884年から85年にかけて「舎密」と「化学」のどちらを用いるかで激しい論争が生じたりもした[1]。
しかしその後、原子論や分子論などの理論化学的な分野の知識の受容が進むにつれて[要出典]、完全に廃れてしまい「化学」の語が定着した[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『Elements of experimental chemistry』とも。当初『Epitome of chemistry』という題名で出版されたのち、『Elements of experimental chemistry』という名に改めて出版された。
出典
編集- ^ a b c d e 『江戸の化学 (玉川選書)』玉川大学出版部、1980年、54-67, 130-132, 142-143, 146-150, 199頁。ISBN 978-4472152115。
- ^ a b 塚原東吾「化学と能吏:驚異のマルチ人間宇田川榕菴の謎にせまる (特集 大江戸化学事情(日本の化学の先駆者宇田川榕菴とその時代:生誕200年によせて))」『化学』第53巻第10号、化学同人、1998年10月、14-20頁。
- ^ “An epitome of chemistry, in three parts”. 2017年7月18日閲覧。
- ^ 芝哲夫「日本の化学を切り拓いた先駆者たち(2) : 川本幸民と化学新書(日本化学会創立125周年記念企画 8)」『化学と教育』第51巻第11号、日本化学会、2003年、707-710頁。