能登国分寺

石川県七尾市にあった国分寺

能登国分寺(のとこくぶんじ)は、かつて能登国石川県七尾市)に存在した仏教寺院

能登国分寺公園
能登国分寺復元南門 (2009年6月8日)
能登国分寺の位置(石川県内)
能登国分寺
分類 史跡公園
所在地
七尾市国分町リ部9
座標 北緯37度1分30.0秒 東経136度57分27.0秒 / 北緯37.025000度 東経136.957500度 / 37.025000; 136.957500座標: 北緯37度1分30.0秒 東経136度57分27.0秒 / 北緯37.025000度 東経136.957500度 / 37.025000; 136.957500
設備・遊具 展示館
駐車場 120台
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概要

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能登国分寺跡の空中写真。2014年。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
 
金堂跡

能登国の国分寺は定額寺の大興寺を前身とする。大興寺はこの地方を支配した能登臣(のとのおみ)の一族により、飛鳥時代末期に建てられた。

748年(天平20年)に大伴家持が能登を巡行していた当時は能登国は越中国に併合されており、この併合時代には、家持を含め国司は9人であった[1]

843年承和10年)、能登国司に赴任した春枝王により、大興寺を国分寺に昇格。741年天平13年)に聖武天皇国分寺建立の詔を発布してから約100年経てからの建立であった。

882年(元慶6年)、雷による火災に遭い、1532年(天文元年)、畠山義総が米一石を寄進している[2]

「国分村」の名称の由来として江戸時代の記録には残っている[3][1]

大正時代に発掘調査が開始され、1970年昭和45年)から本格的な調査が行われた。

1974年(昭和49年)に寺域南方の建物群跡を含め「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定された[4]。寺跡は史跡公園として整備され、1992年平成4年)に能登国分寺公園として開園した。公園内には南門と塀の一部が復元され、中門、金堂、五重塔、講堂、回廊などの跡が表示されている。また、出土品や復元模型などを展示する能登国分寺展示館がある。

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 『観光100問百答』七尾市観光協会、平成6年8月、20頁。 
  2. ^ かみゆ歴史編集部『国分寺を歩く』イカロス出版 p116-p118、能登国分寺展示館・展示
  3. ^ 『観光100問百答』七尾市観光協会、1994年8月、22ページ頁。 
  4. ^ 末松廃寺跡・能登国分寺跡 附建物群跡・東大寺領横江荘遺跡 荘家跡・上荒屋遺跡”. 石川県 (2012年10月16日). 2013年4月3日閲覧。

関連項目

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周辺

  • 千野廃寺 - 国分尼寺か役所とされる
  • 能登国総社

外部リンク

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