第76回選抜高等学校野球大会

第76回選抜高等学校野球大会(だい76かいせんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、2004年3月23日から4月4日まで阪神甲子園球場で行われた選抜高等学校野球大会である。

第76回選抜高等学校野球大会
試合日程 2004年3月23日 - 4月4日
出場校 32校
優勝校 済美愛媛、初優勝)
試合数 31試合
選手宣誓 佐々木陽祐(秋田商
始球式 原田義昭文部科学副大臣
開会式司会 沢田魅月(神奈川大和西高校3年)
永田三佳(大分大分高校卒業)
入場行進曲世界に一つだけの花」(SMAP
国歌独唱 服部響子(京都京都市立音楽高校卒業)
閉会式司会 沢田魅月(神奈川・大和西高校3年)
総入場者数 約504,000人(1試合平均16,258人)
最高入場者数/1日 54,000人
大会本塁打 23本
 < 20032005 > 
選抜高等学校野球大会
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概要

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  • この大会から一般枠が28に減枠され、東海が3から2、中国・四国が6から5となった。
  • 希望枠の選出方法が変更された。比較項目が被塁打数、与残塁+失点、失点から被塁打数、与四死球、失点、失策の4項目となり消去法からポイント制に、対象となる試合も明治神宮大会を除く直近5試合から4試合となった。
  • 甲子園球場に球速が表示されるようになった。
  • 東海大山形山形県勢では春夏通じて初となる、準々決勝進出を決めた。これにより全47都道府県の代表が春夏どちらかでベスト8以上に進出経験があることとなった。
  • 前年夏の大会から登録可能選手数が18人となっていたが、選抜大会において18人登録になったのはこの大会から。
  • この大会から準々決勝戦が選手の健康負担を考慮し、前大会までの1日4試合一括開催から変更して、1日2試合ずつ2日間の日程で開催されるようになった。ただし雨天順延が準々決勝戦までに2日以上続いた場合は、従来の1日4試合一括開催に変更される。
  • 決勝戦当日の4月4日は、午前中までの雨天により試合開始時間が大幅に遅れ、夕刻の16時44分に試合が開始され、決勝戦では高校野球全国大会において史上初のナイター試合となった[1]
  • 優勝した済美監督の上甲正典1988年第60回)の宇和島東以来二度目の初出場・初優勝監督となった。

日程

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  • 2004年平成16年)
    • 1月30日 - 出場32校が決定。
    • 3月15日 - 組み合わせ抽選会。
    • 3月23日 - 開会式。
    • 4月4日 - 決勝戦。閉会式。

選出校

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地区 選出校 出場回数
北海道 鵡川 北海道 2年ぶり2回目
東北 東海大山形 山形 16年ぶり3回目
東北 宮城 2年連続17回目
関東 土浦湖北 茨城 初出場
作新学院 栃木 4年ぶり8回目
桐生第一 群馬 13年ぶり2回目
甲府工 山梨 17年ぶり4回目
拓大紅陵 千葉 8年ぶり4回目
東京 二松学舎大付 東京 2年ぶり4回目
北信越 金沢 石川 3年ぶり8回目
福井 福井 2年連続3回目
東海 常葉菊川 静岡 初出場
愛工大名電 愛知 3年連続7回目
東邦 愛知 2年連続26回目
近畿 八幡商 滋賀 11年ぶり6回目
立命館宇治 京都 初出場
斑鳩 奈良 2年連続2回目
大阪桐蔭 大阪 13年ぶり2回目
兵庫 初出場
報徳学園 兵庫 2年ぶり15回目
地区 選出校 出場回数
中国 岡山城東 岡山 2年連続3回目
広陵 広島 5年連続20回目
四国 済美 愛媛 初出場
鳴門工 徳島 3年連続5回目
明徳義塾 高知 3年連続12回目
九州 福岡工大城東 福岡 2年ぶり3回目
佐賀商 佐賀 4年ぶり6回目
熊本工 熊本 9年ぶり19回目
日南学園 宮崎 5年ぶり4回目
21世紀枠
地区 選出校 出場回数
東北 一関一 岩手 49年ぶり2回目
四国 八幡浜 愛媛 初出場
希望枠
地区 選出校 出場回数
東北 秋田商 秋田 24年ぶり4回目

組み合わせ・試合結果

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1回戦 - 準決勝

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1回戦2回戦準々決勝準決勝
 
              
 
3月23日(1)
 
 
愛工大名電5
 
3月28日(2)
 
立命館宇治4
 
愛工大名電9
 
3月23日(2)
 
岡山城東2
 
作新学院0
 
4月1日(1)
 
岡山城東3
 
愛工大名電7
 
3月23日(3)
 
秋田商1
 
甲府工3
 
3月28日(3)
 
日南学園2
 
甲府工0
 
3月24日(1)
 
秋田商3
 
秋田商10
 
4月3日(1)
 
鳴門工0
 
愛工大名電3
 
3月24日(2)
 
2
 
福岡工大城東5
 
3月29日(1)
 
斑鳩0
 
福岡工大城東6x
 
3月24日(3)
 
拓大紅陵4
 
一関一0
 
4月1日(2):延長11回
 
拓大紅陵6
 
福岡工大城東7
 
3月25日(1)
 
9
 
鵡川6
 
3月29日(2):延長14回
 
八幡浜3
 
鵡川1
 
3月25日(2)
 
2
 
5
 
 
福井1
 
 
1回戦2回戦準々決勝準決勝
 
              
 
3月25日(3)
 
 
東邦9
 
3月29日(3)
 
広陵1
 
東邦0
 
3月26日(1)
 
済美1
 
済美9
 
4月2日(1)
 
土浦湖北0
 
済美7x
 
3月26日(2)
 
東北6
 
東北2
 
3月30日(1)
 
熊本工0
 
東北3
 
3月26日(3)
 
大阪桐蔭2
 
二松学舎大付0
 
4月3日(2)
 
大阪桐蔭5
 
済美7
 
3月27日(1)
 
明徳義塾6
 
明徳義塾10
 
3月30日(2)
 
桐生第一0
 
明徳義塾4
 
3月27日(2)
 
八幡商2
 
八幡商4x
 
4月2日(2)
 
常葉菊川3
 
明徳義塾11
 
3月27日(3)
 
東海大山形6
 
佐賀商6
 
3月31日
 
金沢8
 
金沢1
 
3月28日(1)
 
東海大山形6
 
報徳学園2
 
 
東海大山形3
 

決勝

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4月4日(試合開始:16時44分)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
済美 1 2 1 0 0 0 2 0 0 6 8 1
愛工大名電 0 0 3 0 0 0 0 2 0 5 7 2
  1. (済):福井 - 西田
  2. (愛):齊賀、江上、丸山 - 長尾
  3. 審判
    [球審]赤井
    [塁審]桂(一)、窪田(二)、三宅(三)
    [外審]藤野(左)、日野(右)
  4. 試合時間:2時間43分
済美
打順守備選手
1[右]甘井謙吾(3年)
2[一]小松紘之(3年)
3[中]高橋勇丞(3年)
4[左]鵜久森淳志(3年)
5[捕]西田佳弘(2年)
6[二]野間源生(3年)
7[三]田坂僚馬(3年)
8[遊]新立和也(3年)
9[投]福井優也(2年)
愛工大名電
打順守備選手
1[左]青山直史(3年)
2[三]柴田亮輔(2年)
3[二]梶田京太(3年)
4[一]松井啓(3年)
5[右]池田樹哉(3年)
6[中]佐々木孝徳(2年)
7[遊]鈴木啓友(3年)
8[捕]長尾歓樹(3年)
9[投]齊賀洋平(2年)
江上達也(3年)
丸山貴史(3年)

大会本塁打

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1回戦
  • 第1号:井上結貴(日南学園)
  • 第2号:鵜久森淳志(済美)
  • 第3号:平田良介(大阪桐蔭)
  • 第4号:飯田尚樹(佐賀商)
  • 第5号:土谷尚鋭(東海大山形)
  • 第6号:林勝人(東海大山形)
2回戦
  • 第7号:佐々木孝徳(愛工大名電)
  • 第8号:吉田良(秋田商)
  • 第9号:佐藤雄大(拓大紅陵)
  • 第10号:藤沢裕志(福岡工大城東)
  • 第11号:中村桂司(大阪桐蔭)
  • 第12号:中村桂司(大阪桐蔭)
  • 第13号:横田崇幸(東北)
  • 第14号:久保田健仁(明徳義塾)
準々決勝
  • 第15号:梶田京太(愛工大名電)
  • 第16号:鈴木啓友(愛工大名電)
  • 第17号:山下佳志朗(福岡工大城東)
  • 第18号:田口健人(福岡工大城東)
  • 第19号:大沼尚平(東北)
  • 第20号:鵜久森淳志(済美)
  • 第21号:高橋勇丞(済美)
  • 第22号:梅田大喜(明徳義塾)
  • 第23号:野村太一(明徳義塾)


記録

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いずれも今大会終了時点における記録

個人

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記録 選手名 対戦校 補足
ノーヒットノーラン ダルビッシュ有(東北) 1回戦・熊本工 大会史上12人目
1試合最多本塁打 2 中村桂司(大阪桐蔭) 2回戦・東北 大会タイ記録(15人目)

チーム

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記録 校名 対戦校 補足
1試合最多犠打 10 愛工大名電 1回戦・立命館宇治 大会新記録

応援団賞

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最優秀賞 八幡浜
優秀賞 一関一
常葉菊川
八幡商
大阪桐蔭

その他の主な出場選手

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エピソード

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  • 1回戦の八幡商-常葉菊川戦は、八幡商が1-0とリードした9回表に常葉菊川が3点を奪い逆転。しかし八幡商は9回裏2点を取って3-3の同点に追いつき、なお2死満塁と逆転サヨナラ勝ちの好機を迎えていた。ここで4番の種村将郁が右前にサヨナラ適時打を放って4-3と逆転サヨナラ勝ちを収めた。ところが、1塁走者の伊藤巧が2塁ベースを踏まずに、試合後の整列に並んだ。もし常葉菊川側から2塁に転送されアピールされれば、伊藤は2塁封殺、種村の記録は右ゴロで3死となって延長戦に入るところだったが、常葉菊川選手全員整列してしまったことでアピール権は消滅し、八幡商の逆転サヨナラ勝ちが成立した。常葉菊川の磯部修三監督は、「まったく気がついてなかった。ミスと言えばミス。敗因はすべて私です」と談話を残した[2]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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