第三国立銀行
概要
編集1876年(明治9年)に東京で設立され、その後合併等により、みずほ銀行の源流の一つ安田銀行の前身となる。免許を受けたものの開業に至らなかった大阪の第三国立銀行の免許を譲り受けて東京で設立された。その後、同行は1923年(大正12年)11月保善銀行に吸収合併された[2]。
第三国立銀行(大阪)
編集渋沢栄一の第一国立銀行設立を受け、各地で銀行設立の機運が高まり、大阪にも設立しようと、徳島県人数名が鴻池善右衛門(1841年(天保12年) - 1920年(大正9年))・広岡久右衛門ら豪商を勧誘して1873年(明治6年)4月に出願し、政府の認可を受けた。
しかしながら、発起人内の意見対立で開業に至らなかった。払込資本金40万円。本来なら第一から第五までが揃うはずだったが、当時開業したのは本行を除く第一・第二・第四・第五の4行だった。
沿革
編集その他
編集脚注
編集- ^ 三十三銀行の前身である第三銀行とは無関係。
- ^ 保善銀行は合併と同時に安田銀行に行名を変更した。その後、1948年10月に富士銀行に行名を変更。2002年4月、みずほコーポレート銀行に商号を変更。そして2013年7月、みずほ銀行を合併して逆にみずほ銀行に行名を変更している。
- ^ 現存する八十二銀行とは無関係。
- ^ “銀行変遷史データベース「第八十二銀行」”. 全国銀行協会 銀行図書館. 2018年3月25日閲覧。
- ^ “銀行変遷史データベース「第三銀行」”. 全国銀行協会 銀行図書館. 2018年3月25日閲覧。
- ^ ごうぎんカラコロ美術館(旧山陰合同銀行北支店)の国登録有形文化財の登録 - 島根県報道発表資料(2015年3月10日)