竹中錬一
日本の実業家
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竹中 錬一(たけなか れんいち、1911年(明治44年)3月1日 - 1996年(平成8年)12月31日)は、日本の実業家。竹中家第15代当主。竹中工務店社長、会長、関西経済同友会代表幹事等を歴任した。
たけなか れんいち 竹中 錬一 | |
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生誕 |
1911年(明治44年)3月1日 大日本帝国・兵庫県神戸市 |
死没 |
1996年12月31日(85歳没) 日本 |
住居 | 大日本帝国 → 日本 |
国籍 | 大日本帝国 → 日本 |
出身校 | 早稲田大学 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1934年 - 1996年 |
時代 | 昭和時代前期 - 平成時代前期 |
団体 | 竹中工務店 |
活動拠点 | 日本 |
配偶者 | 和子(米内光政三女) |
子供 | 竹中統一(竹中家第17代当主) |
家族 | 弟:竹中宏平(竹中家第16代当主) |
受賞 | 栄典の一覧を参照。 |
補足 | |
竹中家第15代当主。 |
来歴
編集兵庫県神戸市出身。旧制甲南高等学校を経て、1933年(昭和8年)早稲田大学理工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院修了。
- 1934年(昭和9年) - 竹中工務店に入社。
- 1937年(昭和12年) - 同社取締役。
- 1944年(昭和19年) - 同社副社長。
- 1945年(昭和20年) - 同社社長。
- 1948年(昭和23年) - 竹中工務店及び清水組に対する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[1]。
- 1958年(昭和33年) - 関西経済同友会代表幹事。
- 1977年(昭和52年) - 竹中工務店社長を実弟の宏平に禅譲したものの、同年8月に死去したため再び社長。
- 1980年(昭和55年) - 再び同社会長。
- 1996年(平成8年) - 同社相談役に退く。
1975年(昭和50年)には無公害、省エネルギー空調システムの開発で毎日工業技術奨励賞受賞。
栄典
編集脚注
編集系譜
編集→「竹中藤右衛門 § 親族」も参照
- 竹中氏
杉山寧━━瑤子 ┃ 平岡定太郎 ┏平岡公威 ┃ ┃(三島由紀夫) ┣━━平岡梓 ┃ ┃ ┃ ┃ 永井岩之丞━━━夏子 ┣━━┫ ┃ ┃ 橋健三━━━倭文重 ┃ ┃ ┗平岡千之 ┃ 近藤三郎━━近藤晋一 ┃ ┃ ┏夏美 ┣━━━┫ ┃ ┗久美 ┏寿美 (14代) ┃ 竹中藤右衛門━━╋竹中宏平━━竹中祐二 ┃ ┃ ┗竹中錬一 ┃ ┃ ┃ 米内光政━━━━和子 ┏公子 (元首相) ┃ 嶋崎均 ┃ ┃ ┃ ┏築子 ┃ ┃ ┃ ┗直子 ┃ ┃ ┃ ┣━━━┫ ┃ ┃ ┏竹下登 ┃ ┃(元首相)┃ ┏竹下勇造━━━━╋竹下三郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗武永貞一 ┗竹下亘 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┏雅子 ┃ 福田正━━━━━┫ ┃ ┗和子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 小沢佐重喜━━━━小沢一郎 ┃ ┗一子 ┃ 金丸信━━━金丸康信
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