穝
穝(さい)は岡山県岡山市中区の地名。明治22年宇野村と合併するまでは上道郡穝村であった地域であり、行政地名における穝、および穝東町の全域と高島2丁目、原尾島1丁目の一部分を指す[1]。穝東町は1丁目から2丁目まである。郵便番号は穝が703-8248(岡山東郵便局管区)、穝東町が703-8247(岡山東郵便局管区)[2]。住民基本台帳に基づく2016年(平成28年)での人口は2,663人[3]であった。面積は0.35632533km2[4]。そのほぼ全域が住宅地である。
穝 | |
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穝地区の航空写真。国土交通省 「国土画像情報(カラー空中写真)」を基に作成。 | |
岡山市中区における穝地区の位置。 地図赤色部が穝、桃色部が穝東町(上:1丁目、下:2丁目)。 | |
北緯34度40分57.9秒 東経133度56分57.3秒 / 北緯34.682750度 東経133.949250度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市 | 岡山市 |
区 | 中区 |
面積 | |
• 合計 | 0.35632533 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,663人 |
• 密度 | 7,500人/km2 |
等時帯 | UTC 9 (日本標準時) |
郵便番号 |
703-8248(穝)、703-8247(穝東町) |
市外局番 | 086 |
ナンバープレート | 岡山 |
地名
編集1605年(慶長10年)に書かれた備前国高物成帳には「上道郡宇治郷在所村」[5][6]、東備郡村史には「上道郡宇治郷財村」、寛永備前国絵図には「斎村」との記述が見られる[7][6]。
「穝」は難読地名の一つであり[8]、国語学者である笹原宏之が岡山県出身者を含む都内の学生300人を対象に調査を行ったところ、旁から類推した1人を除きこの地名を読むことが出来たものはいなかった[9]。
この地名はここに屋敷を構えていた豪族、穝所氏から取られたものであり、この姓名自体は国衙において租税、官物の管理を行っていた官職である「税所」に関連するものであると推測されている[10][6]。
この漢字は国土地理協会の発行する出版物、国土行政区画総覧に掲載されていた[11]「穝東町」の表記を典拠としてJIS第2水準漢字への登録が予定されていたが実際の規格では誤って既存の字書にあった「木の節」を意味する[12]別字、樶が登録されてしまったため補助漢字、JIS第3水準漢字に改めて採用されるまでこの漢字はコンピュータ上での利用が難しい状況にあり、現地では前述の「樶」に1画書き加えたり「禾最」と2文字にして表すなど様々な表記が確認された[10][13]。
地理
編集旭川下流左岸、百間川の取入口やや南方東側の平地に位置し[14][1]、その全域が沖積層にある[15]。北は中島、高島1丁目から2丁目、東は高島、藤原光町1丁目から3丁目、藤原西町、百間川を挟んで東川原、原尾島1丁目と接している。
地価
編集住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば穝字談議田48番2外で71,900円/m2となっている[16]。
小・中学校区
編集地域 | 小学校 | 中学校 |
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山陽線以北の穝 | 旭竜小学校 | 高島中学校 |
穝東町2丁目の6番15号、7番16号 | 幡多小学校 | 竜操中学校 |
その他 | 宇野小学校 | 操山中学校 |
2023年現在穝地区に立地する小中学校は存在しない[18][19]。
小字
編集『宇野地区の歴史』では穝の小字名を以下の通りとする[20]。
歴史
編集この地に屋敷を置いた穝所氏は吉備氏の後裔である上道氏の庶流、財田氏の一族であり、当初この村は財田氏の本拠地であった上道郡財田郷の分村であったと考えられている[20]。
1483年(文明15年)の福岡合戦では赤松政則方の武将、浦上則宗の配下として穝所弾正衛門が出陣している[21][22]。天文年間の穝所久経の時代、穝所氏は浦上政宗の下、備前府中および旭川下流域の領主を束ねる有力者に成長している[23][24]。1561年(永禄4年)に穝所元常が宇喜多直家に謀殺されたのち穝所氏は没落していった[24]。萩藩閥閲録に載る1564年(永禄7年)に書かれたと推定される書状には毛利氏方についた三村家親が尼子氏の軍勢を討つため伯耆国に出陣した際「穝所之表」にて何かが起こり荘元祐らが急いで帰陣した、との記述がある[1][14]。
穝村は宇喜多氏、小早川氏の支配を経て1603年(慶長8年)より池田氏の岡山藩領となる[14]。岡山城下に近かったことから江戸期、この村では百間川の土手や河川敷を活用し、城下に供給する野菜を栽培していた[14]。文化年間に書かれた『岡山藩領手鑑』には当時の穝村の直高が618石余りで蔵入と家臣2人の給地であった、とある。1759年(宝暦9年)には百間川下流域にある浜村[注 5]が設けた取水分木によって穝村の排水が悪くなったとして新規の分木設置が差し止められている[25]。
1889年(明治22年)に穝村は合併し上道郡宇野村の大字となった[14]。また1874年(明治7年)には当地に穝所小学校が開校したが1886年(明治19年)ごろに焼失し廃校、以降は隣地区にある尋常原尾島小学校の学区となった[14]。
沿革
編集- 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行に伴い宇野村が発足。穝は大字となる。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 町村合併により岡山市域となる。
- 1973年(昭和48年)10月20日 - 住居表示の実施に伴い、穝の一部、原尾島の一部から穝東町一丁目、穝の一部から穝東町二丁目が新設され、穝の一部が高島二丁目になる[26]。
- 1981年(昭和56年)7月20日 - 住居表示の実施に伴い、地区の一部が原尾島一丁目となる[26]。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 岡山市の政令指定都市に伴い岡山市中区域となる。
人口の変遷
編集1721年(享保6年)ごろ[14] | 38戸 213人 |
1804年(文化元年)から1818年(文化15年)ごろ[25] | 34戸 153人 |
1891年(明治24年)[14] | 35戸 154人 |
1995年(平成7年)[27] | 920戸 2272人 |
2010年(平成22年)[4] | 1159戸 2806人 |
交通
編集施設
編集参考文献
編集- 平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 33 岡山県』角川書店、1978年。ISBN 4040013301。
- 宇野学区史刊行会『宇野地区の歴史 : 旧上道郡宇野村史』1981年。
- 上道郡教育会『上道郡誌』(復刻)臨川書店、1987年。ISBN 4653013837。
- 笹原宏之『方言漢字』角川学芸出版、2013年。ISBN 4047035203。
- 渡邊大門『宇喜多直家・秀家―西国進発の魁とならん』ミネルヴァ書房、2011年。ISBN 4623059278。
- 諸橋轍次『大漢和辞典 巻六』(新装普及)大修館書店、1989年。ISBN 9784469031447。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 平凡社地方資料センター、p.561
- ^ “岡山県 > 岡山市の郵便番号一覧 - 日本郵便”. 日本郵便. 2016年9月26日閲覧。
- ^ “町丁・年齢別人口|岡山市|市政情報|統計情報”. 岡山市. 2016年9月24日閲覧。
- ^ a b “人口統計ラボ”. 2016年9月26日閲覧。
- ^ 上道郡教育会、p.60
- ^ a b c 宇野学区史刊行会、p.20
- ^ 上道郡教育会、p.62
- ^ 平凡社地方資料センター、p.1021
- ^ 笹原、p.44-45
- ^ a b 笹原、p.44
- ^ “国土行政区画総覧典拠のJIS漢字”. 池田証寿. 2014年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月25日閲覧。
- ^ 諸橋、p.6250
- ^ 笹原、p.166
- ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、p.499
- ^ “岡山県内表層地質図”. 西部技術コンサルタント株式会社. 2016年10月1日閲覧。
- ^ “標準地・基準地検索システム~国土交通省地価公示・都道府県地価調査~ <詳細情報>”. 国土交通省. 2023年12月15日閲覧。
- ^ “別表第1(第3条関係)”. 岡山市. 2020年9月30日閲覧。
- ^ “中区の小学校一覧|岡山市|施設案内|幼稚園・学校・教育”. 岡山市. 2016年9月25日閲覧。
- ^ “(岡山市立)中学校・高等学校一覧|岡山市|施設案内|幼稚園・学校・教育”. 岡山市. 2016年9月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 宇野学区史刊行会、p.21
- ^ “弥延備前守”. 畑和良. 2016年9月26日閲覧。
- ^ 吉備群書集成刊行会、p.21
- ^ 渡邊、p.93
- ^ a b “中島城”. 畑和良. 2016年9月26日閲覧。
- ^ a b 平凡社地方資料センター、p.562
- ^ a b “旧新・新旧町名対照表” (XLS). 岡山市. 2024年8月14日閲覧。 “住居表示の実施状況”
- ^ “提供統計一覧 政府統計の総合窓口”. 総務省. 2016年10月1日閲覧。
- ^ a b “■■ OKADENBUS ■■ ~ 岡電バス 路線 ~”. 岡山電気軌道. 2016年10月1日閲覧。
- ^ “JAF岡山支部が事務所移転 岡山ICより近く 到着時間短縮へ”. 山陽新聞 (2022年9月23日). 2022年9月23日閲覧。