福原広泰
福原 広泰(ふくばら ひろやす、元禄7年(1694年) - 享保10年4月11日(1725年5月22日))は、長州藩永代家老・宇部領主福原家17代。
父は福原広俊。兄は福原広頼。正室は厚狭毛利家毛利就久の娘。養子に福原元貞。初名は毛利広為(もうり ひろため)。通称は重次郎、雅楽、対馬。
生涯
編集元禄7年(1694年)、長州藩家老福原広俊の末男として生まれる。初め、一門家老大野毛利家毛利就詮の養子となる。宝永元年(1704年)、藩主毛利吉広の偏諱を受け、毛利雅楽広為と名乗る。正徳4年(1714年)、実家を相続した兄広頼が急死したため、帰家して福原家の家督と宇部1万115石を相続。同年大頭役を仰せつかる。正徳6年(1716年)辞任。
享保10年(1725年)4月11日死去。享年32。
参考文献
編集- 「宇部市史」
- 「福原家譜」(東京大学史料編纂所)