石原善三郎
石原 善三郎[1](いしはら ぜんざぶろう[2]、1888年(明治21年)7月9日[3] - 1989年(平成元年)9月6日[4])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(大阪府第一区選出、当選1回)[2][5]。
略歴
編集大阪府大阪市西区・石原善平の息子[6]。1910年、早稲田大学専門部法律科卒業[1][7]。1911年、分家する[8][9]。洋銑鉄業[10]、鉄商[11]を営む。
大阪朝日新聞社政治部記者となる[5]。大阪市会議員、大阪府会議員、衆議院議員、奈良市長を歴任。立憲民政党に所属する[2]。早稲田大学商議員、日の丸電線専務取締役[2]、奈良市街自動車、大阪電線各社長などをつとめる[8][9]。奈良県多額納税者に列する[8][12]。
1931年2月、第59回帝国議会において全11条及び附則からなる「大日本帝国国旗法案」を提案し、同年3月26日衆議院本会議において可決された。しかしながら貴族院送付後の3月28日、会期終了に伴う帝国議会閉会により審議未了廃案となり、続く第60回帝国議会に再提出されたものの衆議院解散により再度廃案となり、結局成立しなかった。
終戦後の混乱期の1945年12月、官選の広島県尾道市長に就任(1947年4月まで)。1947年4月には初の公選市長に就任した(1951年4月まで)。1959年、1963年の尾道市長選は落選。1967年の尾道市議選は2位当選。1971年4月の尾道市長選に20年ぶりに当選就任。就任当時最年長市長だった[13]。1975年4月退任。
人物
編集家族・親族
編集- 石原家
- 親戚
脚注
編集- ^ a b 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』イ87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月7日閲覧。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、310頁。
- ^ 山陽日々新聞 石原善三郎翁の13回忌
- ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 上』イ53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』得業生之部 専門部法律科118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』イ173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 上』イ231頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』い162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月16日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』い176頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月16日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第13版 上』イ174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ 『82歳の執念実る 尾道市長当選の石原さん 夢はデッカイ全国最年長』 - 中国新聞 1971年4月26日 朝刊 7ページ(7版)
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』早稲田大学校友会、1915 - 1925年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 衆議院、議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。