石井啓一
石井 啓一(いしい けいいち、1958年〈昭和33年〉3月20日[PR 1][PR 2] - )は、日本の政治家、建設技官。公明党常任顧問。
石井 啓一 いしい けいいち | |
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生年月日 | 1958年3月20日(66歳) |
出生地 | 日本 東京都豊島区 |
出身校 | 東京大学工学部土木工学科卒業 |
前職 | 建設省技官 |
所属政党 |
(公明党→) (公明新党→) (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
称号 | 工学士(東京大学・1981年) |
公式サイト | 公明党代表 衆議院議員 石井啓一公式HP |
第20-21代 国土交通大臣 | |
内閣 |
第3次安倍第1次改造内閣 第3次安倍第2次改造内閣 第3次安倍第3次改造内閣 第4次安倍内閣 第4次安倍第1次改造内閣 |
在任期間 | 2015年10月7日 - 2019年9月11日 |
選挙区 |
(旧東京5区→) (比例東京ブロック→) 比例北関東ブロック |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2024年10月9日 |
その他の職歴 | |
第4代 公明党代表 (2024年9月28日 - 2024年11月9日) | |
第5代 公明党幹事長 代表:山口那津男 (2020年9月27日 - 2024年9月28日) |
衆議院議員(10期)、財務副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、公明党政務調査会長、国土交通大臣(第20・21代)、公明党幹事長代行、公明党幹事長、公明党代表(第4代)などを歴任した。
来歴
編集生い立ち・建設官僚
編集東京都豊島区生まれ[PR 1]。紳士服の仕立て屋を営む家庭で3人兄妹の長男として育つ[PR 3]。早稲田中学校・高等学校を経て[PR 1][PR 2][1]、物理が好きだったことから東京大学工学部土木工学科へ進学した[2]。
1981年、建設省に入省[PR 2]。道路局国道第二課橋梁係長、道路局路政課課長補佐を歴任した。公明党衆議院議員長田武士に政界への転身を請われ[2]、1992年に退官する[PR 2]。
衆議院議員
編集1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に旧東京5区(定数3)から公明党公認で出馬し、得票数3位で初当選した[PR 2][1]。1994年、公明党の解党に伴い公明新党を経て新進党結党に参加した。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、比例東京ブロック単独で新進党から出馬し、再選[PR 2]。
1997年12月の新進党解党に伴い、旧公明党出身の衆議院議員を中心に結党した新党平和に参加。1998年11月、公明党の再結成に参加し、党副幹事長に起用される。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、比例東京ブロックから比例北関東ブロックに鞍替えし、3選[PR 2]。
2003年、第1次小泉第2次改造内閣で財務副大臣(予算・国有財産管理担当)に任命され、第2次小泉内閣まで務める[1]。
党市民活動委員長や政務調査会長代理などを経て、2010年、山口那津男代表の下で公明党政務調査会長に起用された[3]。民主党政権下の2012年、自民党を交えた消費税増税をめぐる3党協議では、党支持母体の創価学会が難色を示す中、民・自・公3党の合意形成に尽力した[3]。
国土交通大臣
編集2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣発足に伴い、太田昭宏に代わって国土交通大臣及び水循環政策担当大臣に任命され、初入閣した[1]。国交相就任に伴い公明党政務調査会長を退任した。
第3次安倍第2次改造内閣と第3次安倍第3次改造内閣で国土交通大臣及び水循環政策担当大臣に留任。
2017年11月1日に発足した第4次安倍内閣で国土交通大臣及び水循環政策担当大臣に再任された。
2018年12月21日、アイヌ政策を総合的に推進するための制度整備を進める担当大臣を兼務する[4]。アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ推進法を施行に導き[5]、2019年5月24日にはウポポイ(民族共生象徴空間)を管理する法人として公益財団法人アイヌ民族文化財団に指定書を交付した[6]。
2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣の発足に伴い退任。在任期間は3年11か月、1435日間にわたり、国土交通大臣としては歴代最長であった[7]。同月19日、公明党幹事長代行に就任する。
公明党幹事長
編集2020年9月27日、第13回党大会で公明党幹事長に就任した[8]。
2023年3月9日、次期衆議院議員総選挙には埼玉14区から立候補することが発表された[9]。
公明党代表
編集公明党代表山口那津男の退任表明[10]を受け、2024年9月18日に告示された公明党代表選挙に立候補を届け出る。他に届け出はなく、無投票で代表選出が決まった[11]。同月28日の党大会で正式に代表に就任した[12]。
2024年10月27日投開票の第50回衆議院議員総選挙に埼玉14区から立候補したが、国民民主党の鈴木義弘に敗れ、比例区での重複立候補もしていなかったことから落選した[13]。同月31日、公明党代表を辞任する意向を表明[14]。後任の代表には斉藤鉄夫、代表代行には竹谷とし子が選ばれ[15]、自らは公明党常任顧問に就任した[16]。
報道
編集2021年8月17日、新型コロナウイルス感染症対策に関する緊急事態宣言に基づき4人以下での会食が求められる中、東京都内の日本料理店において自民党幹事長二階俊博らと5人で会食を行なったと報道される。出席者の一人である公明党国会対策委員長高木陽介が記者に対して「会食ではない。打ち合わせの前に、それぞれ昼食を『黙食』でとった[17][18]」と説明した一方で、石井は同月20日の記者会見で「大いに反省している」「(全員がワクチンを2回接種し、感染防止対策も取っていたため)大丈夫だろうと思っていたところに油断があった」と釈明した[19]。
政策・主張
編集- 日本国憲法の改正に賛成[20]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈を見直す必要はないと主張[20]。
- 原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成[20]。
- 日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に反対[20]。
- 女性宮家の創設に賛成[20]。
- 首相の靖国神社参拝に反対[21]。
- 村山談話、河野談話の見直しに反対[21]。
- 特定秘密保護法に賛成[21]。
- 2020年11月、中国・全国人民代表大会常務委員会の決定に基づき香港立法会の民主派議員が議員資格を剥奪されたことに関し、「中国は一国二制度をきちんと守るという国際的な公約をぜひ守ってもらいたい」「中国の内政問題という側面と、一国二制度を一定期間守るといった国際公約との兼ね合いという問題がある」と指摘した[22]。
- 2023年8月、国土交通大臣時代に対応に当たった森友学園問題について「一番の災害」と表現した。自然災害と同列視したことに批判の声が上がり、のちに「適切でなかった」と謝罪した[23]。
人物
編集役職歴
編集内閣
編集- 国土交通大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)
- 水循環政策担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)
- 財務副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)
衆議院
編集公明党
編集選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 35 | 旧東京5区 | 公明党 | 6万5752票 | 15.60% | 3 | 3/12 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 38 | 比例東京 | 新進党 | 19 | / | 5/5 | ||
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 42 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/3 | ||
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 45 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/3 | ||
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 47 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/2 | ||
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 51 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/2 | ||
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 54 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/3 | ||
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 56 | 比例北関東 | 公明党 | 20 | / | 1/3 | ||
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 59 | 比例北関東 | 公明党 | 19 | / | 1/2 | ||
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 63 | 比例北関東 | 公明党 | 19 | / | 1/3 | ||
落 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 66 | 埼玉14区 | 公明党 | 6万249票 | 31.60% | 1 | 2/6 | / |
脚注
編集- ^ a b c d “第3次安倍改造内閣発足、国交相は石井啓一氏に” (2015年10月7日). 2015年10月11日閲覧。
- ^ a b “石井啓一・公明党次期代表の横顔”. 日本経済新聞. (2024年9月18日) 2024年9月19日閲覧。
- ^ a b “閣僚横顔=第3次安倍改造内閣” (2015年10月7日). 2015年10月11日閲覧。
- ^ 万博担当相に世耕氏 閣議で指定(朝日新聞)
- ^ “アイヌ新法が成立 「先住民族」と初めて明記”. 朝日新聞. (2019年4月19日) 2022年7月16日閲覧。
- ^ “国交省、「ウポポイ」管理法人指定書交付 アイヌ民族文化財団に「尽力」”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2019年5月25日) 2022年7月16日閲覧。
- ^ “見たもん勝ち 〜建設業応援団〜 【国交相交代】 石井前大臣あいさつ「働きやすい現場を」”. 建設資料館. (2019年9月12日) 2022年7月16日閲覧。
- ^ “山口代表の7選承認 幹事長に石井氏―公明党大会:時事ドットコム”. 時事通信. (2020年9月27日) 2020年9月27日閲覧。
- ^ “公明党、埼玉14区に石井氏 愛知16区は伊藤氏公認 次期衆院選”. 日本経済新聞. (2023年3月9日) 2023年5月9日閲覧。
- ^ “公明 山口代表 代表選立候補せず退任意向 15年ぶり代表交代へ”. NHK NEWSWEB. NHK. (2024年9月10日) 2024年9月10日閲覧。
- ^ “公明党・石井啓一氏が新代表に 15年ぶり交代、無投票で”. 日本経済新聞. (2024年9月18日) 2024年9月18日閲覧。
- ^ “公明党の新代表に石井啓一幹事長を選出…15年ぶり交代”. 読売新聞. (2024年9月28日) 2024年9月28日閲覧。
- ^ “公明党代表の石井啓一氏が落選…埼玉14区”. 読売新聞オンライン. 読売新聞東京本社 (2024年10月28日). 2024年10月28日閲覧。
- ^ “公明・石井代表が辞任を正式表明 衆院選惨敗 国会までに新体制”. 毎日新聞. (2024年10月31日) 2024年10月31日閲覧。
- ^ “公明党、代表代行に竹谷氏起用 斉藤新代表を正式決定”. 共同通信 (2024年11月9日). 2024年11月9日閲覧。
- ^ “反転攻勢へ全党一丸 公明、臨時党大会で新出発”. 公明新聞 (2024年11月10日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ “二階幹事長ら5人が堂々のランチ会食 〝黙食〟主張でネット炎上、党内からも「勘弁して」”. 東スポWeb (2021年8月17日). 2021年8月19日閲覧。
- ^ “二階氏ら5人で食事、森山氏「配慮足りず」「日程調整難しい」釈明(会員制)”. 朝日新聞DIGITAL. (2021年8月19日) 2021年8月19日閲覧。
- ^ “5人会食「油断あった」 公明幹事長が釈明”. 産經新聞. (2021年8月20日) 2021年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e “2012衆院選 北関東ブロック 石井 啓一”. 毎日jp. 毎日新聞社. 2015年10月11日閲覧。
- ^ a b c “2014衆院選 北関東ブロック 石井 啓一”. 毎日jp. 毎日新聞社. 2015年10月6日閲覧。
- ^ “公明・石井幹事長 香港めぐり中国に「一国二制度をきちんと守って」”. 産経新聞. (2020年11月13日) 2022年7月15日閲覧。
- ^ “「一番の災害は森友」発言を陳謝 公明・石井幹事長 「適切でない」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年8月24日). 2023年8月26日閲覧。
- ^ a b c d “プロフィール”. 毎日jp. 公明党幹事長 衆議院議員 石井啓一オフィシャルサイト. 2022年7月15日閲覧。
一次資料または記事主題の関係者による情報源
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- 石井啓一 (@keiichi_ishii_) - X(旧Twitter)
- 石井啓一チャンネル - YouTubeチャンネル
公職 | ||
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先代 太田昭宏 |
国土交通大臣 第20・21代:2015年 - 2019年 |
次代 赤羽一嘉 |
先代 谷口隆義 小林興起 |
財務副大臣 山本有二と共同 2003年 - 2004年 |
次代 上田勇 田野瀬良太郎 |
党職 | ||
先代 山口那津男 |
公明党代表 2024年 |
次代 斉藤鉄夫 |
先代 斉藤鉄夫 |
公明党幹事長 2020年 - 2024年 |
次代 西田実仁 |
先代 斉藤鉄夫 |
公明党政務調査会長 2010年 - 2015年 |
次代 石田祝稔 |