矢追秀彦
矢追 秀彦(やおい ひでひこ、1933年12月8日 - 2009年12月12日)は、日本の政治家。兵庫県出身。大阪大学歯学部卒業。参議院議員(3期)。衆議院議員(3期)。
矢追秀彦 やおい ひでひこ | |
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生年月日 | 1933年12月8日 |
出生地 | 兵庫県 |
没年月日 | 2009年12月12日(76歳没) |
出身校 | 大阪大学 |
所属政党 |
(公明党→) (公明→) 公明党 |
選挙区 | 大阪府第6区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1983年12月19日 - 1993年6月18日 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1965年7月5日 - 1983年7月9日 |
経歴
編集1933年12月8日、兵庫県に生まれる。
1952年、大阪府立池田高等学校卒業。1958年、大阪大学歯学部を卒業する。
1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から公明党公認候補として立候補し、初当選する。(以降、参議院議員3期、衆議院議員3期)。
1980年6月22日、第12回参議院議員通常選挙に、公明党公認候補として立候補し、当選する。公明党参議院国会対策委員長に就任する。
1982年、公職選挙法改正法案(地方区・全国区を廃止し、都道府県選挙区・比例代表区制への移行)の際、民社党と共に、自民党と応戦する。
1983年12月18日、第37回衆議院議員総選挙に、大阪6区から北側義一の後継で公明党公認候補として立候補し、当選する。衆議院議員に転じた。
1986年12月、公明党大会において、公明党副書記長に就任する。
1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙地盤を佐藤茂樹に譲り、政界を引退する。
1994年、公明党副委員長に就任する。
1994年12月5日、公明党の解散にともない、公明の結成に参加する。
2009年12月12日、心不全のため死去[1]。
役職歴
編集- 公明党参議院国会対策委員長
- 公明党副書記長
- 公明党副委員長
出典
編集- ^ “訃報:矢追秀彦さん76歳=元公明党衆院議員”. 毎日新聞. (2009年12月14日) 2009年12月16日閲覧。
議会 | ||
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先代 桑名義治 |
参議院運輸委員長 1982年 - 1983年 |
次代 矢原秀男 |
名誉職 | ||
先代 石田次男 |
最年少参議院議員 1965年7月 - 1968年7月 |
次代 峯山昭範 |