矢原美紀夫
矢原 美紀夫(やはら みきお、1947年4月4日 - )は、松濤館スタイルの空手家。段位は十段位[1]。
矢原 美紀夫 | |
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生年月日 | 1947年4月4日(77歳) |
出身地 | 愛媛県 |
居住 | 日本 |
民族 | 日本人 |
スタイル |
空手道 松濤館流 |
ランク | 空手10段 |
職業 |
KWF(空手の道世界連盟)主席師範 I・S・S(インターナショナル・シークレット(株)CEO |
大学 | 国士舘大学 |
矢原は昭和1947年愛媛県出身で、古くから武士のルーツを持つ名家の4男[2]。彼は柔道で武道の訓練を始めた。その後、日本空手協会(JKA)で空手の修業のため上京を考えて国士舘大学に進学し、勉学をしながら、一方で協会の研修生(ジュニアインストラクター)となり、競技空手選手としてキャリアを始める。1974年から1984年にかけて、組手と型の両方で大きな成功を収めた[3]。
1987年から1999年まで続いたJKAでのリーダーシップのためのいさかいの後、これに見切りをつけ、2000年に独自の組織である空手之道世界連盟[4]、通称『KWF』を設立した。2023年現在、63ヵ国が参加する大組織の首席師範に就任し現在に至る。
また、矢原は自己の空手を生かして50年前28歳の時に要人警護(ISS・インターナショナル・セキュリテイーサービス(株))を設立し、代表取締役に就任して 世界の政財界等の要人から多大な信頼を得て現在も活躍している。
トーナメントの実績
編集JKA全日本選手権
編集- 1984-3位(組手)、1位(型)、グランドチャンピオン[5]
- 1983-2位(型)
- 1982-3位(組手)、2位(型)
- 1981-2位(型)
- 1980-2位(型)
- 1979-3位(組手)
- 1978-2位(組手)、2位(型)
- 1976-3位(組手)
- 1975-2位(組手)
- 1974-1位(組手 団体)
IAKF世界選手権
編集- 1983-1位(組手 団体)、1位(団体型)、2位(型)
- 1980-1位(組手 団体)、1位(団体型)、2位(型)
- 1977-1位(組手 団体)、1位(団体型)、2位(型)
- 1975-1位(組手 団体)、1位(団体型)
IAKF・JKA 国際選抜選手権
編集- 1975-1位 (組手) 、 1位 (形)
アジア空手道選手権大会
編集- 1974-1位(組手 団体)
- 1983-1位(組手)、1位(型)
WUKO・JKA ワールドカップ
編集- 1984-1位(形 個人)、 1位(形 団体)
参考文献
編集- ^ “Mikio Yahara 10th Dan”. 28 June 2020閲覧。
- ^ “Микио Яхара” (Russian). usko-prim.ru. 20 April 2017閲覧。
- ^ “JKA All-Japan and World Championships”. svkarate.com. 20 April 2017閲覧。
- ^ Larionov. “Mikio Yahara: The ‘One Finishing Blow’ Concept”. karatenomichi.ru. 20 April 2017閲覧。
- ^ “JKA Champions”. svkarate.com. 21 April 2017閲覧。