真打
真打(しんうち)
意味
編集語源
編集語源に関しては諸説あるが、寄席は当時、灯が全てロウソクだったため、トリで出演する芸人が最後にロウソクの芯を打った(=火を消した)事から転じてそう呼ばれるようになった、というのが最も有力。(例)「お待ちかね!ついに真打登場」。
落語
編集概要
編集落語においては、現在は江戸落語(東都)の落語協会、落語芸術協会、五代目円楽一門会、落語立川流の4団体がそれぞれ真打制度を導入している。
- 基本として真打に昇進すれば各定席興行の主任(トリ)を務めることが出来、また弟子を採ることが出来る。敬称も「~師匠」と呼ばれる。
- 真打昇進の基準においては各団体や時期によって異なり、団体内での協議や定席(鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)席亭による推薦で決定されたり、真打昇進試験が導入されたこともある(落語協会・立川流)。ただし、真打昇進の基準を巡って基準が不明瞭な点が多く、このことから団体内の対立や関係者の不満が発生し、特に落語協会では2度にわたる分裂騒動へ発展した。
- 落語立川流では、創設者で家元の七代目立川談志の意向もあり、談志存命時から厳格な真打昇進試験が課されており、職業落語家に当たるかつての「Aコース」の真打昇進には落語100席や都々逸・長唄・かっぽれなどの歌舞音曲の習得が求められていた[7]。ただし、談志が闘病のため休養を余儀なくされた際には、それぞれの師匠による昇進判断が委ねられており、談志の死没以降は家元制度が廃止され、一般公開で「真打トライアル」を行うことが基本とはなっているが、必ずしも昇進試験は必須ではないとされている[注釈 1][9]。
- 通常は前座→二ツ目→真打、と身分を上げていくが、2019年7月に立川流で真打に昇進した立川志獅丸は、形式的ではあるが「前座から真打」への昇進となっている。これは志獅丸は既に二ツ目の身分で真打昇進が内定していたが、同年5月に師匠である立川志らくの一存により、志獅丸も含めた当時の門下の二ツ目全員が「前座に降格」させられる騒動(経緯)が起きており、志獅丸の場合は「真打昇進前日まで前座の再修業」を課せられたことから起きたものである[10]。
- なお、かつて「落語立川流Bコース」(家元である談志が認めた著名人)についても「真打」昇進を認められた者がおり、高田文夫(立川藤志楼)、ミッキー・カーチス(ミッキー亭カーチス)らが真打に昇進しており、昇進披露も行っている。
- 円楽一門会では、「大日本落語すみれ会」時代の1981年ごろに、五代目三遊亭圓楽が「前座3年+二ツ目5年の8年で真打昇進」という基準を打ち出し(五代目圓楽の真打昇進に対する信念は、師である六代目三遊亭圓生とは全く異なっていたことも影響する。後述参照)、1991~92年にかけて若手真打が同時期に多数誕生したが、のちに方針が変更となっている[11]。
- なお、上方落語協会・落語芸術協会それぞれに所属する笑福亭鶴光は、落語芸術協会の香盤では「真打(上方)」として扱われている[12]。また、円楽一門会から落語芸術協会に「客員」として加入した六代目三遊亭円楽は、円楽一門会・落語芸術協会双方とも真打として扱われていた[13]。
- 一方で、落語立川流から落語芸術協会に入会した立川談幸については、立川流在籍時に真打に昇進したこともあってか、2015年1月の芸協加入から2年間は「準会員」として扱われ、その後も真打の扱いとなっているが、ホームページ上での香盤としては別枠として扱われていた(その後、2019年6月頃より芸協の香盤に組み込まれている)[12]。余談となるが、立川流在籍時に談幸に弟子入りした立川吉幸・幸之進は師匠と共に芸協入りし、立川流では二ツ目の身分であったが、改めて前座修業を課されている。その後二人とも改めて(芸協所属としての)二ツ目に昇進したのち、吉幸については2019年5月より(芸協所属としての)真打に昇進した[14]。幸之進は2025年5月上席の真打昇進を予定している[15]。
- なお、東都の落語4団体に所属しない、事実上フリーランスの落語家も「真打」を称することがある。
- 四代目春雨や雷蔵門下の春雨や落雷。雷蔵は落語芸術協会に所属しているが、落雷はいずれの団体にも所属しておらず、春雨や一門としての「真打」を称している。
- 八代目雷門助六門下の雷門喜助。師と同様に日本芸術協会(後の落語芸術協会)に所属していたが、数年後に離脱し岡山県に活動拠点を移した。その後、当地での活躍を聞いた師匠の助六が「真打」として認定する形となっている。喜助も芸協離脱後はいずれの団体にも所属していない。
- 東北弁落語の東方落語[16]。落語芸術協会にも所属する六華亭遊花を含め数名が「真打」を称している(ただし、落語芸術協会においては遊花は「客員」扱いで「真打」としては明記されていない)。
- 名古屋を中心に活動する雷門小福一門(登龍亭一門、旧名:なごや雷門一門)も階級制度が設けている。小福一門は当初小福のみであり、上方落語と同様に階級制度がなかった[注釈 2]。その後、元落語立川流の雷門獅篭(現:登龍亭獅篭)、雷門幸福(現:登龍亭幸福)と新たに弟子入りした雷門福三(現:登龍亭福三)の3人が加わり、師匠の小福の一存で小福を「真打」、獅篭・幸福・福三の3人を「二ツ目」として扱い、階級が定まったという。2012年、師匠の小福が死去した際に、その遺言で獅篭を「真打」と認めている[注釈 3]。しかし、獅篭は「仮に真打を名乗ったとしても一門外の落語家や客が認めてくれるかどうかわからない」という理由に加え、前出の雷門喜助(系譜上、小福にとっては弟弟子にあたる)の助言もあったことから、真打制度を一時凍結する意向を示している[注釈 4]。
上方落語における運用
編集上方落語では、現在は明確な身分制度は存在しておらず、入門後に何年かの修行期間を務める「年季奉公」の体裁をとっている。なお、内規により「入門から15年目以上」が真打相当として扱われる。以前は大正期までは真打制度が明確に存在し、戦後に上方落語協会で部外秘扱いで復活したが、すぐに有名無実化した。その後、1970年代後半に当時の同協会会長である六代目笑福亭松鶴が真打の復活を提唱するも、複数の芸能事務所などから反対されて頓挫した[18]。さらに天満天神繁昌亭の開設を控えた2005年に、当時協会会長だった桂三枝(現:六代目桂文枝)が真打制度を復活させる計画を提案したが、慎重な対応を求める意見が多く実現しなかった[19]。このため、上方落語家(前述の笑福亭鶴光、一時落語協会客分として参加していた生前の露の五郎を除く)は東日本で江戸の落語家と競演する場合、ごく一部の例外[注釈 5]を除いて基本的に大物や重鎮でも主任(トリ)を務めることができない。
その後、同協会会長が2018年に笑福亭仁智に代わり、2024年になり、上方落語の活性化を図る目的から「上方版の真打」制度を創設する事ととなった(名称は公募で決定される)。この制度では同協会所属の落語家246人の中から、入門から15年程度の若手中堅落語家を対象としていて、実績を評価したうえで初年度は4~5人程度を認定する。認定された落語家は定席興行の天満天神繁昌亭などで1週間主任(トリ)を勤める披露興行を実施できるとしており、同年8月の披露興行実施を目指すとされる。ただし、江戸落語と異なり「前座」「二ツ目」にあたる階級は設けないとしている[19]。
その後の協会内での協議の結果、「上方版の真打」制度については反対意見が多く議論が難航したため継続審議となり、代わって入門から15年目を迎えた同協会所属落語家が定席で1週間主任を務める「
抜擢真打
編集近年の落語協会・落語芸術協会の両団体では、入門順により真打昇進が運用されているが、特に優れたものに関しては「抜擢真打」として入門順を配慮せず、真打昇進が図られる場合がある(下記いずれも、本人記事参照)。この場合、香盤も先に入門した落語家を追い抜くため「~人抜き」と強調される。
- 落語協会では比較的抜擢真打が諮られるケースが多く、戦後の主な適用例として、古今亭朝太改メ三代目古今亭志ん朝(1962年、36人抜き)、柳家さん治改メ十代目柳家小三治(1969年、17人抜き)、三遊亭ぬう生改メ三遊亭圓丈(1978年、6人抜き)、春風亭小朝(1980年、36人抜き)、柳家さん光改メ三代目柳家権太楼 (1982年、18人抜き)、 林家繁蔵改メ林家正雀(1983年、16人抜き)、柳家小きん改メ四代目桂三木助(1985年、26人抜き) 、柳家小ゑん(1985年、8人抜き)、春風亭正朝(1985年、10人抜き)、三遊亭きん歌改メ三遊亭歌之介(現:四代目三遊亭圓歌、1987年、18人抜き)、林家こぶ平(現:九代目林家正蔵、1987年、13人抜き)、柳家小緑改メ柳家花緑(1994年、31人抜き)、柳家喬太郎(2000年、12人抜き)、林家たい平(2000年、7人抜き)、春風亭一之輔(2012年、21人抜き)、古今亭朝太改メ古今亭志ん陽(2012年、8人抜き)、古今亭菊六改メ古今亭文菊 (2012年、28人抜き) などの例がある。このうち、権太楼、正雀、三木助、小ゑん、正朝、歌之介、こぶ平については後述の真打昇進認定試験を受験したうえでの抜擢真打である。
- 特に六代目三遊亭圓生の会長在任時(1965年8月~1972年3月)においては、圓生自身の真打に対する信条から、実質的に真打昇進は「圓生会長に芸が認められた」抜擢と同様の運用であり、香盤上で追い抜かれる者も多く、極端に真打昇進者が少なかった(後述)。
- 近年では単独での抜擢真打は2012年3月の一之輔、抜擢真打も2012年9月の志ん陽と文菊以降は途絶えていたが、2024年3月より林家つる子(12人抜き)、三遊亭わん丈(16人抜き)がそれぞれ抜擢で真打昇進となった。つる子は(女性の落語家が現在の共通の香盤になって以降では)初の女性の落語家の抜擢真打となる[22][23]。
- 落語芸術協会では、基本的に抜擢は行わず、年功序列と推薦方針による真打昇進の運用を長らく続けてきた。第3代会長の四代目桂米丸の在任期間が長らく続いたが、その間に落語協会に遅ればせながら1983年より抜擢真打も導入される事となり、同年3月に三遊亭小遊三を単独で真打に昇進させ、芸協における抜擢真打の第1号となった[注釈 6][24]。
- その後、春風亭昇太(1992年、7人抜き)が芸協では2人目の抜擢真打となっており、この時は席亭推薦により抜擢真打となっている。これ以降、長らく芸協の落語家としての抜擢真打の運用例はなかった。歴代の会長のうち、特に桂歌丸(第5代会長)は生前抜擢真打について否定的な考えであったとされており[9]、会長在任中の2016年に新宿末廣亭の席亭推薦による抜擢の打診があった、芸協及び日本講談協会所属講談師の神田松之丞(後述の六代目神田伯山)の真打昇進について理事会で否決している。
- 歌丸会長の没後に先述の春風亭昇太が会長となり、講談師ではあったが、2020年2月中席から神田松之丞改メ六代目神田伯山を抜擢で真打に昇進[注釈 7]させ、さらに2021年2月中席より桂宮治が芸協の落語家としては29年ぶりに5人抜きでの抜擢真打とした[25][26]。
- 正確には抜擢真打としては扱われないものの、団体入会の経緯などの諸事情により、通常の香盤序列を追い抜いて真打昇進となる例も稀にある。一例として前述の落語芸術協会における立川吉幸(2019年昇進)、立川幸之進(2025年昇進内定)のケースがある[注釈 8]。
落語協会における真打昇進試験
編集真打昇進を決定する基準の一つとして、落語協会では五代目柳家小さん会長の下で、1980年から1987年まで「真打昇進試験」が導入されたことがあった。試験導入の背景には以下のようなものがあった。
- 導入への伏線となったのが、1972年に前会長である六代目三遊亭圓生から小さんが会長に代わった時まで遡る。前会長の圓生は自身の「理想主義的な真打昇進論」に基づき、真打昇進の条件に「真打になるだけの能力があると(圓生)自身が認める」ことを課した[注釈 9]ため、圓生の会長在任時には真打への昇進者が極端に少なく[注釈 10]、二ツ目の滞留者が40名近くまで増大して、落語協会所属の若手の落語家の間で不満を募らせつつあった。後任となった小さんはこの圓生の方針を一転させて「現実主義的な真打昇進論」[注釈 11]から積極的に真打昇進の方針を進め、1973年春に10名[注釈 12]、秋に10名[注釈 13]と1年で計20名の大量真打昇進を行った。
- 小さんによる真打大量昇進の思惑としては、前述の通り二ツ目の大量滞留も含め、全体的に落語家が増加傾向を見せており、なおかつ人形町末廣の廃業で都内の定席寄席が4か所に減少していたことで「落語家の人数と出演できる寄席数の絶対的な不均衡」を憂慮しており、従来の年1~2名程度の少数精鋭の真打昇進方針では「いつになっても真打になれない者」が出てしまうので、一定程度の年数を経過した者を昇進させて「機が熟す時期を早める」目算もあったとされる[31]。
- 小さん執行部で登用された若手幹部の中でも、圓生に近いとされた立川談志や古今亭志ん朝、さらに圓生の弟子である五代目三遊亭圓楽も大量昇進の方針に賛成した[注釈 14]が、あくまで自論に固執する圓生はただ一人真打の大量昇進に反対し、協会内で孤立する形となった。圓生の理想論は「自らの弟子」である三遊亭さん生(後の川柳川柳)や好生(後の春風亭一柳)についても真打に昇進させる事を拒否する[注釈 15]など「自身の真打基準」に固執し、実態と乖離した頑迷なものとなり、結果的にその後、1978年の「落語協会分裂騒動」を引き起こす大きな要因となった[注釈 16][31]。
騒動後、大量昇進路線による真打濫造の批判もあった事で協会内でもその問題を補正するべく「抜擢真打」と併用して1980年より導入されたのが「真打昇進試験」(正式名称は「真打審査会」)であった。第1回(1980年11月)の試験は16名が受験し11名が合格した。この11名は翌1981年春に7名[注釈 17]、秋に4名[注釈 18]と分かれて昇進披露を行った。
しかし、昇進試験の導入は、真打昇進の基準としていた「入門から約12年」を満たしても試験に落第して真打に昇進できない事で若手落語家を中心に不満の意見が出たほか、協会側も「試験の受験は必須ではない」という姿勢であったことから、僅かながらも昇進試験の受験を拒否する者が出る[注釈 19]など、運用面に課題を残す事となった[32]。
- そこで1982年の試験制度の改善では「真打昇進”認定”試験」として、昇進基準の年数を経過していなくとも、推薦による抜擢で昇進認定試験の受験資格を与える事となった。これにより、柳家さん光改メ三代目柳家権太楼が初めて「抜擢により真打昇進認定試験を受験し合格」し、真打に昇進した。同年の改善で「真打認定証」が協会から発行されることとなり、1982年は受験者10名すべてが合格している[32]。
問題が発生したのが1983年春の昇進認定試験で、10名受験者のうち6名が不合格(秋に追試が決定)となっているが、この中に談志の弟子であった2名[注釈 20]が含まれており、運用面に不満を抱いた談志とその一門の集団離脱を生む事態となった(落語立川流#誕生)[注釈 21]。談志一門以外からも二ツ目を中心に試験制度を継続する執行部に対する批判の声が上がり、改善を求める「要望書」を若手育成担当の幹部であった志ん朝に手渡す一件に発展しており[33]、さらに同年秋の試験では受験者6名全員が不合格となり、翌1984年春の認定試験実施が見送りとされるなど、試験の運用の一貫性が担保されず、試験制度に対する不満がくすぶり続けた。
その後も試験の運用は続いていたが、真打昇進認定試験の意義を問う面で決定的となったのが、1987年5月に受験した古今亭志ん八(後の古今亭右朝)の不合格を巡る混乱であった。志ん八は多数の受賞歴があるなど、席亭や他の落語家などの関係者からも合格が有力視されていたが、不合格決定に対し席亭などの関係者から協会へ強硬に異議を申し入れる事態に発展した[注釈 22]ため、慌てた協会は急遽志ん八の追試を決定し、結果は一転して合格となり、翌1988年5月に真打に昇進した。
この年の試験直前の理事会でも、制度を巡る不満の噴出や圓生時代と比較して真打の数も増えてきたことから「真打昇進認定試験の廃止」が検討されていたが、この一件が決定打となり1987年限りで真打昇進認定試験を廃止し[36]、導入前の年功序列と一部の抜擢による真打昇進に改めている。
女性落語家の真打
編集女性の落語家の真打は、2024年9月現在で落語協会が12名、落語芸術協会が4名所属しており、2023年5月に落語立川流でも初の女性落語家の真打が誕生した。円楽一門会では女性落語家の真打はまだ誕生していない。
- 落語協会初の女性落語家真打は、1993年に昇進した三遊亭歌る多と古今亭菊乃改メ古今亭菊千代であり、当時は「女真打」として通常の真打と別の扱いであった。その後、2002年に女真打枠が撤廃され、通常の真打として男性と同列に扱われるようになった。歌る多・菊千代以降は、林家きく姫(2001年)、川柳つくし(2013年)、林家ぼたん(2016年)、柳亭こみち(2017年)、古今亭ちよりん改メ古今亭駒子(2018年)、三遊亭粋歌改メ弁財亭和泉(2021年)、三遊亭美るく改メ三遊亭律歌、春風亭ぴっかり☆改メ蝶花楼桃花(以上、2022年)、林家つる子(2024年、前述の通り女性初の抜擢真打)、柳家花ごめ(2024年)の順で昇進している。また、2025年9月下席より林家なな子の真打昇進が内定している。
- 落語芸術協会初の女性落語家真打は、2000年に昇進した桂小文改メ桂右團治である。その後、橘ノ昇美依改メ橘ノ杏奈(2009年)、春風亭鹿の子(2010年)、橘ノ双葉改メ三遊亭藍馬(2019年)、春雨や風子改メ雲龍亭雨花(2024年)の順で昇進している。
- ただし、2024年5月の段階で杏奈は休業状態であり、長らく休業していた鹿の子は2023年2月までに廃業し同協会を退会した。同協会で現在、定期的に高座で活動している女性真打は右團治、藍馬、雨花の3名である。
- 落語立川流では創設以来、女性の真打は誕生していなかったが、2023年5月5日に立川談春門下の立川こはる改メ立川小春志が、立川流所属では初の女性落語家として真打に昇進した[39]。
真打昇進披露興行
編集江戸落語の4団体では、真打昇進を披露するための興行が定席の各寄席を中心に行われる。
- 興行では、新たに真打に昇進する落語家が主任(トリ)を務める。同時期に複数人が真打に昇進する落語家がいる場合は、交代で主任を務める。仲入り後には口上が行われ、各団体の幹部や当該新真打の師匠などが出演する。
- この披露興行の初日をもって、真打に昇進する(別に高座名の改名や由緒ある名跡を襲名する場合もある)形となる。そのため、真打昇進の内示・発表は約1年近く前には所属団体から行われ、対象の落語家は真打昇進へ向けての準備期間に入る。
- 実際に興行の準備や調整などは新真打に代わって「番頭」が担当する(複数人が昇進する場合は、各新真打にそれぞれ番頭が付けられる)。一門内の二ツ目の噺家が任されることが多く、事務や手伝いで動員される他の後輩落語家などの指揮など、新真打を全面的にサポートすることとなる[40]。
- 落語協会、落語芸術協会の両団体は、鈴本演芸場(絶縁中の落語芸術協会を除く)→新宿末廣亭→浅草演芸ホール→池袋演芸場、の順に4定席(芸協は3定席)で披露興行が行われる。なお、狭義の定席ではないが両団体が定期的に興行を行う国立演芸場[注釈 23]、名古屋の大須演芸場[注釈 24]も披露興行のスケジュールとして含まれる。また、落語芸術協会は同じく定席に準じているお江戸上野広小路亭でも行われる(ただし、各定席のように10日間通しで行われることはない)。さらに新真打の故郷での落語会といった地方公演でも行うことがある。毎年のスケジュールとして、落語協会では3月・9月(いずれも鈴本演芸場)から始まる年2回、落語芸術協会は5月(新宿末廣亭)から始まる年1回の披露興行を行うものが基本となっている。ただし、抜擢真打や他の名跡襲名などにより、これ以外の披露興行のスケジュールが組まれることも稀にある[注釈 25]。
- 円楽一門会、落語立川流では前述の4定席に出演することができないため、各団体が興行を打つ定期公演で行われる(円楽一門会はお江戸両国亭、立川流は国立演芸場(閉場前)やホール落語が多い)。
- 各団体とも、真打昇進披露興行の初日を迎える前に公式行事としてホテルで真打昇進披露を兼ねたパーティーが行われる(前出の一太郎など行わなかった例もあり)。
- 真打昇進に際して、新真打は引出物として「三点セット」(「巻物」と称される口上書(挨拶状)・扇子(高座扇)・手拭い)を(複数同時昇進の場合は合同で)作成し、寄席関係者や芸人に対して配布する慣習がある(関係者の場合、披露宴の招待状も併せて配布する)。また、一般に有償頒布するために三点セットを個別に製作する場合もある[42][43]。また、贔屓筋などから後ろ幕や幟が昇進披露に合わせて作られたものが贈られ、披露宴や披露興行などで飾られる[44]。
- 通常は新真打の記者会見の後、関係者を招待し昇進披露宴が行われ、コース料理などの食事が供される。さらに、鏡抜き・乾杯や関係者のお祝いの式辞、余興などが行われる。
- 2020年以降のコロナ禍においては、感染対策からパーティーの内容も様変わりしている。特に2021年2月に昇進した桂宮治の披露パーティーでは、新型コロナウイルスの感染拡大時期に当たっていたため、会場では「飲食自粛」となり、会場内で供されたのが「ペットボトルの水1本」だけ(その分、手土産として酒や弁当が振舞われた)という体制で行われた。その後は飲食の饗応も徐々に再開されてはいるが、所要時間の短縮など試行錯誤を続けている[45]。
- 前述の1973年の落語協会における真打の大量昇進の際は、当時会長の小さんの指示により披露パーティーでは引出物(扇子・手拭い)の頒布、後ろ幕や飾り物などの装飾が一切禁止され、真打関係者以外は落語芸術協会の会長、副会長と各定席の席亭、放送関係者など限られた招待客による質素なものとなった。小さんが新真打の財力などを配慮した事も背景にあった[30]。
- 日本テレビ系『笑点』でも、演芸コーナー内において真打昇進披露口上が行われる(落語芸術協会に加入している講談師も含む)が、落語立川流については参加しないことが多い[注釈 26]。2020年のコロナ禍以降、一時は番組内での昇進披露は行われていなかったが、2023年7月2日放送分より番組での昇進披露が再開されている[注釈 27]。
漫才
編集- 漫才では、東京の漫才協会が1971年(設立当時は「漫才協団」)より「真打(真打ち)」[注釈 28]制度を導入している。例年11月に浅草公会堂での同協会の「漫才大会」で真打ち昇進披露が行われていた(2024年現在は「漫才大会」が年末に移行したため、11月の浅草演芸ホール定席興行内で昇進披露が行われる)が、毎年真打昇進が出ている訳ではない。直近で真打に昇進したオキシジェン(2024年昇進)とその前のU字工事(2017年)とは、7年間昇進が出ていない。
- 上方漫才では、落語同様に真打制度は存在しない。
講談
編集- 講談では、東京の講談協会、日本講談協会がそれぞれ真打制度を導入している。
- 日本講談協会と提携する落語芸術協会(芸協)に所属する講談師のうち、芸協での寄席修行を受けた一部の講談師が芸協でも「真打」として扱われ(三代目神田山陽、神田京子、神田鯉栄、神田蘭、六代目神田伯山、三代目松林伯知[12])、芸協の定席で昇進披露が行われる。芸協内の寄席修行を受けずに途中入会した講談師(神田陽子、神田紫、神田紅、三代目神田松鯉[12])については、芸協の香盤では「色物」として真打の扱いを受けていなかった(ただし、主任を務めることもあった)が、2019年12月頃より芸協内での香盤が一本化され、前述の芸協内で前座修行を受けた講談師とともに「講談」の枠内で「真打」の扱いを受けるようになった[注釈 29]。
- なお、例外として芸協内で寄席修行を受け、現在は日本講談協会から離脱している日向ひまわりについては「講談」枠内に入らず、通常の芸協の落語家の香盤序列で真打に列せられている。また、2019年に途中入会した神田阿久鯉については「講談」の枠内で「真打」の扱いであるが、入会から間もないこともあってか芸協の香盤内では別枠とされている。それぞれの団体の興行の兼ね合いもあり、基本的に日本講談協会での真打披露興行が先行して行われ、その後(芸協にも加入している講談師については)芸協での披露興行が行われることが多い[注釈 30]。
- 講談協会または日本講談協会と落語協会にも所属する講談師については非常に少数である[注釈 31]ため、落語協会の香盤では「講談」として別枠となっているが真打の扱いを設けていない(ただし、講談師も定席で主任を務めることがある)。
- 落語や漫才と異なり、上方講談でも少人数かつ3団体(上方講談協会、大阪講談協会、なみはや講談協会、さらにこれらに属さない講談師も存在)に分かれているが、それぞれ独自に真打制度を導入している。
浪曲
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 実例として立川キウイのケースがある。家元の談志が存命時ではあったが、キウイの著書『万年前座』を談志が評価する形で昇進試験を免除され、真打に昇進となっている[8]。
- ^ 小福の師匠である初代雷門福助が戦後東京を離れて、名古屋で旅館を経営する傍ら、地元の大須演芸場の高座に上がるようになったことも背景とされる。
- ^ (江戸落語家の)慣習として師匠が死去した場合、二ツ目以下の弟子は他の真打の門下に移籍する事が通例となっていることから、一門の中心として獅篭を「真打」に据えることで、なごや雷門一門を守るという意図もあったとみられる。
- ^ これらの事実は、獅篭が師匠である小福の没後にコラムで言及している[17]。その後、獅篭には2018年に入門した登龍亭獅鉄(旧名:雷門獅鉄)、2021年に入門した登龍亭篭二、2023年に入門した登龍亭篭登と三人の弟子がおり、獅篭の弟弟子の登龍亭幸福に2022年に入門した登龍亭幸吉も含め、いずれも「前座」の身分を称している(前座修業を終えた獅鉄は2021年11月に年季明けしている)。
- ^ 六代目文枝が三枝当時に2006年4月中席(11~20日)の鈴本演芸場・夜の部の興行で主任を務めた例がある[20]。文枝を襲名してからは2024年6月中席(11~20日)の鈴本演芸場・昼の部の興行で主任を務めた。いずれも落語協会の定席興行の枠内で行われている。
- ^ 3月に1969年入門の小遊三を抜擢真打とし、小遊三の前に入門していた二代目柳亭小痴楽、五代目三遊亭圓雀、五代目春風亭柳條、古今亭寿輔、四代目春雨や雷蔵、三笑亭夢之助、桂京丸が1か月遅れで真打に昇進している。
- ^ 後述する芸協内の落語家と講談師の香盤序列が整理される以前は、講談師としての香盤序列は守られる一方で、芸協内の当時の香盤上では9人抜きとなっていた。
- ^ 吉幸は芸協で二ツ目昇進後は3年で真打に昇進しており、落語立川流での修業期間(約17年)も算入された形で、形式的ではあるが当時の香盤で28人追い抜く形で真打に昇進している。もっとも吉幸が芸協で前座修業中の2015年10月に、かつての弟弟子(当時の二代目快楽亭ブラック門下)であった立川左平次、立川志ら玉が落語立川流で先に真打に昇進している[27]。
また、幸之進も芸協で二ツ目昇進から8年(立川流での修業期間11年も含め21年)と真打昇進までやや期間を要したものの(2025年まで廃業者が出るなど香盤に変動がなければ)香盤上では12人追い抜く形となる[28]。 - ^ 圓生が「真打は落語家としてのゴールである」という認識を持っており、それに達しない者に関しては二ツ目のままで置いておいても構わないという考えであった[29]。
- ^ 圓生が会長に就任した1965年8月以降、退任する1972年3月までの約7年の間に真打に昇進できたのは9人に留まった。
特に自身の弟子であった三遊亭さん生(後の川柳川柳)や三遊亭好生(後の春風亭一柳)は、後から八代目春風亭柳枝の死去により圓生門下へ移籍した三遊亭吉生改メ六代目三遊亭圓窓(1969年真打昇進)、同じく八代目柳枝門下から移籍した三遊亭圓弥(1972年真打昇進)、さらに林家こん平(1972年真打昇進)と、香盤が下位だった者に相次いで追い抜かれるなど冷遇を受けている。
一方で人気先行型であったこん平の真打昇進は、圓生にとって自身の昇進基準と相容れずに承服しがたかったが「三平の弟子なので(仕方がなく)」という理由で渋々昇進を認めたとされる[30]。 - ^ 小さん(は「真打は(一人前の落語家としての)スタートライン」と考えており、長い間二つ目のままでいる落語家は真打にしてやればよい、昇進したら、あとは売れるも売れないも自己責任という考え方であった[29]。圓生の弟子であった五代目圓楽も真打昇進の考えは小さんの考えに近く、自身が円楽党を設立した際は前述の通り、既存の組織よりさらに早い段階で真打に昇進させる運用をとっており、いずれにしても真打昇進に関する理想では、これらの現実的な落語家たちと、あくまで理想に固執する圓生の考えとは大きく齟齬が生じていた。
- ^ 柳家かゑる(現:五代目鈴々舎馬風)、三升家勝彌(後の七代目三升家小勝)、橘家圓平、三遊亭さん生(後の川柳川柳)、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、三升家勝二(現:八代目三升家小勝)、桂小益(現:九代目桂文楽)、林家枝二(後の七代目春風亭栄枝)、柳家さん吉。
- ^ (初代)林家木久蔵(現:林家木久扇)、三遊亭好生(後の春風亭一柳)、桂文平(現:六代目柳亭左楽)、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん(後の六代目柳家つば女)、三遊亭歌雀(後の三代目三遊亭歌奴)、柳家さん弥(後の二代目柳家小はん)、金原亭桂太(現:金原亭伯楽)。
- ^ 大量真打が諮問された理事会では、談志が「(圓生)自身が認めるもの」という圓生の判断基準を「論理が成り立たない」と疑義を呈しているほか、五代目圓楽も圓生が「五代目橘家圓好」として昇進した当時の評(芸が拙く、継父である五代目圓生の強い引き立てもあり真打に昇進できた)を暗に持ち出し「本当にお客様が納得したんですか?」と問うと、圓生は「お前、痛い事を言うなよ」と苦々しく答えている[31]。
- ^ 圓生は弟子のさん生、好生の真打昇進決定に最後まで抵抗し、二人の昇進披露のパーティーや披露興行の口上には一切出席しなかったとされる[30]。
- ^ もっとも、1973年の真打大量昇進後は、1978年までの真打昇進者は6人に留まり、二ツ目が滞留し始めていたことで、再び大量の真打昇進を行うかどうかの是非が背景にあった。
- ^ 柳家さん喬、六代目五街道雲助、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、金原亭駒三郎改メ二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵、三遊亭旭生改メ三遊亭圓龍。
- ^ 林家九蔵(現:三遊亭好楽)、柳家さん八、柳家さん治改メ柳家小袁治、立川談十郎改メ十代目土橋亭里う馬。
- ^ 1980年の第1回の真打昇進試験の対象者は20名であり、16人が試験を受験した一方で4名が受験しなかった。明らかになっている不受験者として初代古今亭志ん五がいる(志ん五は翌1982年11月に真打に昇進した)。
- ^ 立川談四楼、立川小談志(のちの喜久亭寿楽)。
- ^ 合格者は林家源平、柳家小里ん、蝶花楼花蝶(後の七代目蝶花楼馬楽)、林家正雀(抜擢での試験受験で合格)の4名で、談志が特に問題視したのは力量的に劣ると見られた源平の合格であった。
- ^ この試験では、初代林家三平の長男で当時は「親の七光り」と揶揄されていた林家こぶ平(現:九代目林家正蔵)が合格していた事も席亭らの反動を生む形となった。
ただし、同時に試験を受けて合格した三遊亭きん歌(歌之介を経て現:四代目三遊亭圓歌、きん歌は抜擢試験組)によれば、志ん八は試験会場に来るのも遅れ、噺の出来も明らかに不出来であったという。原因はその前夜に兄弟子達が前祝いと称して遅くまで飲ませたとされている[34]。
また、試験の当事者となった小さんも「志ん八については採点は間違いなかったと思う。出来はあんましよくなかったよ。あんときゃ、きん歌やこぶ平の方が光ってた。こりゃ剣道の試験の時と同じで、志ん八は本当の実力が出なかったのかもしれない」と語っている[35]。 - ^ 2023年10月に改修のため一時閉場となった後は「国立演芸場主催興行」という形で紀尾井小ホールを代替として公演を行う。
- ^ 落語協会は大須演芸場の定席興行に組み込む形で、落語芸術協会は年数回の貸席興行『芸協らくご名古屋寄席』の中に組み込む形で実施する。
- ^ 落語協会の場合、他の襲名披露興行などが入る関係で春・秋のいずれかが行われないケース(例:2023年は春に「五代目江戸家猫八襲名披露興行」を実施したため、真打昇進披露は9月のみとなった)がある。また、落語芸術協会では、2019年9月の三代目柳亭小痴楽、2020年2月の六代目神田伯山、2021年2月の桂宮治の真打昇進披露興行などが該当する。
- ^ 立川晴の輔は番組内で不定期に行われる「若手大喜利」コーナーのレギュラー出演者であったことから、番組内で真打昇進披露を行っている。また、2009年11月15日放送回では円楽一門会の2名(三遊亭大楽・三遊亭王楽)とともに立川志遊が昇進披露を行っており、立川ぜん馬とともに出演している。
- ^ 同年7月までの真打昇進者が対象。落語芸術協会:桂翔丸、春風亭吉好、柳亭明楽、落語立川流:立川小春志、五代目円楽一門会:錦笑亭満堂。落語協会はこの時点で真打昇進の対象者(同年9月より4名が真打昇進)がいないため、出演がなかった。
- ^ 2024年のオキシジェンの真打昇進以前は、漫才協会内の表記は「真打ち」であった。
- ^ 香盤は日本講談協会での序列に準ぜられるため、真打の序列は松鯉、陽子、紫、紅、山陽、京子、鯉栄、蘭、伯山、伯知。
- ^ 例外としては六代目神田伯山の真打昇進・襲名披露興行で、芸協における例年の披露興行の時期(通常は5月)から外れた2月に単独で行われる昇進披露であったこともあり、芸協での披露が先行して行われた。
- ^ 四代目宝井琴柳、四代目宝井琴調(以上、講談協会所属)、神田茜(日本講談協会所属)の3名のみ(2023年5月現在)。
- ^ 三遊亭王楽のYouTubeチャンネルにおける玉川太福の発言より[46]。
出典
編集- ^ 三重)「村正」の忠実な写しを制作へ ネットで資金募る - 朝日新聞デジタル
- ^ 小狐の太刀の話 - 福井市立郷土歴史博物館
- ^ a b 吉川潮『戦後落語史』新潮社〈新潮新書 343〉、2009年12月20日、24頁。ISBN 978-4-10-610343-8。
- ^ a b 吉川潮『戦後落語史』、25頁。
- ^ a b 吉川潮『戦後落語史』、91頁。
- ^ 海老名香葉子さん、こん平さんの思い出を手紙に「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」[出典無効] - サンスポ 2020年12月22日
- ^ 立川流の「二つ目、真打ちへの昇進基準」はなぜ厳しかったか 大事なことはすべて立川談志に教わった(立川談慶) - 一個人 2018年5月30日
- ^ 前座16年立川キウイ真打ちにスピード昇格 - nikkansports.com 2010年3月27日
- ^ a b 朝日新聞デジタル:真打ち選び、基準は実力?年季? 東京落語で試行錯誤 - 朝日新聞デジタル(アーカイブ)2012年5月16日
- ^ 立川志らく、志獅丸を真打ちに昇進「戻さないといろんな人に迷惑がかかる」 - SANSPO.COM 2019年7月14日
- ^ 吉川潮『戦後落語史』新潮社、2009年12月20日、205頁。ISBN 9784106103438。
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- ^ a b 「真打ち」がいない上方落語、若手の実力認定の取り組み…桂三枝会長時代には模索したが実現せず - 読売新聞 2024年3月17日
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- ^ 「上方落語・噺家成人式」公演、入門から15年となる落語家を対象 真打制度導入は継続審議 - 日刊スポーツ 2024年3月25日
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- ^ 真打ち目前で前座に逆戻り 数奇な運命を歩んだ立川吉幸が来年5月に真打ち昇進決定 - スポーツ報知 2018年8月6日
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- ^ 蝶花楼桃花 真打昇進から4カ月の落語協会史上最速で初トリ決定 - デイリースポーツ online 2022年6月10日
- ^ 林家つる子、三遊亭わん丈、最短記録で初トリ「真打ち昇進が決まったときより10倍うれしい」 - ENCOUNT 2024年6月19日
- ^ 立川こはる、令和5年5月5日に真打ち昇進「魔法をかけられる人になりたい」立川流初の女性真打ち - スポーツ報知 2022年11月20日
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- ^ 芸協新真打2024年挨拶回りと空治さん二ツ目昇進! - 桂鷹治の「語る詞す」 噺家・桂鷹治のオフィシャルブログ 2024年3月1日
- ^ 新真打5人の「高座扇・口上書き」お求めのご案内 - 三遊亭丈助オフィシャルブログ 2020年4月15日
- ^ 令和四年秋 真打昇進襲名披露興行 祝扇会ご報告 - 十代目入船亭扇橋公式ウェブサイト
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