目時敬之
目時 敬之(めとき たかゆき、1862年〈文久2年〉[1][2] - 1896年〈明治29年〉1月29日[2])は日本の政治家。初代岩手県盛岡市長。
来歴
編集陸奥国岩手郡盛岡で南部藩士の勤皇家目時隆之進の子に生まれる[1][注 1]。明治維新後は岩手県庁に入り、勧業課に勤める[1]。1889年、市制施行により盛岡市が発足。目時は28歳だったが、市長候補に選出された。市会での投票結果は米内受政(総理大臣米内光政の父)が18点を取って一位、目時は16点と次点だった。しかし、岩手県知事石井省一郎は一位の米内でなく、二位の目時を市長に任命した[1]。
市長は1894年まで務め、退任後は京都府庁に転じ、その後埼玉県第三課長となったが、1896年に腸チフスで死去した[2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『岩手人名辞典』235頁には「隆之進の孫」と記載。
出典
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。