熊谷高直
熊谷 高直(くまがい たかなお)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。毛利氏の家臣。熊谷信直の子。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 大永7年(1527年) |
死没 | 天正7年10月26日(1579年11月14日) |
別名 | 通称:次郎三郎 |
戒名 | 法名:興岩寿盛 |
墓所 | 菩提所観音寺跡(広島県広島市安佐北区) |
官位 | 兵庫頭 |
主君 | 武田光和→毛利元就→輝元 |
氏族 | 桓武平氏国香流熊谷氏 |
父母 | 父:熊谷信直 |
兄弟 |
高直、直清、広真、三須隆経、就真 娘(吉川元春室・新庄局)、娘(天野元明室)、娘(山内隆通室)、娘(香川広景室) |
子 | 元直、景直 |
生涯
編集大永7年(1527年)、安芸国の国人である熊谷信直の子として生まれる。
父同様、安芸国の戦国大名・毛利氏に仕え忠勤に励み、弘治元年(1555年)より始まる防長経略では須々万沼城攻略戦に参加した。
内政に関しても秀でていたようで、三入高松城の麓に居館である土居屋敷を築き、元亀3年(1572年)に所領にある三入八幡神社に梵鐘を寄進するなどの活動が見られる。現在、この梵鐘は広島市指定重要有形文化財となっている。
参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻27「熊谷帯刀」
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