流行亭歌麿・やちよ
流行亭歌麿・やちよ(りゅうこうていうたまろ・-)は戦前、戦後にかけて活躍した夫婦の音曲漫才コンビ。
男の歌麿が三味線を演奏する異色の音曲漫才。1948年より本格的にコンビを組む。
メンバー
編集- 大阪日本橋の生まれ、子役で芝居を経験、並行して舞踊や三味線も習得した、12歳で落語家の林家染三に入門。1924年4月に初代桂春団治門下で若春の名で新世界第二朝日館で初舞台、その後、小春、春太楼と相次いで改名。1938年に色物(漫才)に転じ五條家菊二と、戦時中は足立てる子と組んだ。1948年に妻と組むにあたり「流行亭歌麿」と改名。
- 流行亭やちよ(りゅうこうてい -、本名・浦川スエ、1908年 - 1980年代)
註
編集参考文献
編集- 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年)