河島光広
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河島 光広(かわしま みつひろ、1931年 - 1961年3月19日)は、漫画家。別名義:尾張まこと。
愛知県名古屋市出身[1]。若くして才能を発揮し、手塚治虫からも絶賛されたが、結核に罹り1961年3月19日に30歳で死去した[2]。
作品リスト
編集- 宮本武蔵(朝日出版社)
- 三日月童子(朝日出版社)
- 天晴れ小次郎(朝日出版社)
- どくろの城 (朝日出版社)
- 快男児 西部の虎(冒険王 1953年9月号)
- 十字架の剣士(探偵王臨時増刊「漫画ブック」1953年12月20日発行)
- ペッペ君とボンベ君(少年画報 1954年1月号)
- 決闘の町(少年画報 1954年3月号付録「佐々木小次郎」)
- 白面の剣士(少年画報 1954年6月号 - 9月号)
- 太平洋魔城(少年画報 1954年9月号付録)
- ビリーパック(少年画報 1954年10月号 - 1961年6月号)(1961年7月号以降は矢島利一作画)
- 夕月一刀流(少年画報 1961年1月号 - 7月号)尾張まこと 名義
- 少年宮本武蔵 くさりがまの決闘(少年画報 1961年4月号)尾張まこと 名義