沙良 真熊(さら しんゆう/まくま、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期の人物。氏姓は沙良(無姓)のち広岡造。
武蔵国新羅郡の人で[1]、新羅系の渡来人[2]。
宝亀11年(780年)渡来系諸氏族の氏人に対して賜姓が行われた際、一族のもう1名とともに沙良(無姓)から広岡造姓に改姓している[1]。なお、広岡の名称は武蔵国豊島郡広岡郷(現在の東京都板橋・練馬・赤塚近辺)に因むと想定される[3]。
新羅琴に秀で、弘仁年間に興世書主[2]や高枝王[4]に新羅琴を教授した。書主は見事に秘伝を習得した一方、高枝王は技量を十分に会得するに至らなかったという。