氷川神社 (東京都港区赤坂)
東京都港区の神社
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都港区赤坂六丁目にある神社。同区内白金にある白金氷川神社・元麻布にある麻布氷川神社と区別するため、赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)とも称される。旧社格は府社で東京十社の一つ。
氷川神社 | |
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桜門(2010年9月18日撮影) | |
所在地 | [1] |
位置 | 北緯35度40分5.64秒 東経139度44分7.85秒 / 北緯35.6682333度 東経139.7355139度座標: 北緯35度40分5.64秒 東経139度44分7.85秒 / 北緯35.6682333度 東経139.7355139度 |
主祭神 |
素盞嗚尊 奇稲田姫命 大己貴命[1] |
社格等 | 准勅祭社・府社 |
創建 | 伝・天暦5年(951年)[1] |
本殿の様式 | 権現造[2] |
別名 | 赤坂氷川神社[1] |
例祭 | 9月16日 |
主な神事 | 四合稲荷祭、末廣稲荷祭、西行稲荷祭、型代流し神事他 |
地図 |
祭神
編集由緒
編集天暦5年(951年)、東国を遊行していた蓮林僧正が霊夢を見て、一ツ木村(現・赤坂4丁目付近)に奉斎したと伝えられる。
享保15年(1730年)4月、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。江戸幕府からの尊信は厚く、遷座直後に吉宗公が参拝し、14代家茂公まで歴代将軍の朱印状が下付された。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。
境内
編集摂末社
編集文化財
編集年中行事
編集
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- 月次祭
- 1日、15日
氏子地域
編集ギャラリー
編集-
公道より参道を見る(2010年9月18日撮影)
-
参道より一の鳥居を見る(2010年9月18日撮影)
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参道より三の鳥居を見る(2010年9月18日撮影)
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桜門より本殿を見る(2010年9月18日撮影)
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本殿を見る(2010年9月18日撮影)
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赤坂氷川山車(2010年9月18日撮影)
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赤坂氷川山車(2010年9月18日撮影)
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赤坂氷川山車の巡行の準備(2010年9月18日撮影)
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赤坂氷川山車の巡行(2010年9月18日撮影)
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赤坂氷川山車の巡行(2010年9月18日撮影)
所在地・交通
編集脚注
編集参考文献
編集- 滝口正哉 編『赤坂氷川神社の歴史と文化』赤坂氷川神社、都市出版 (発売)、2016年9月。ISBN 9784901783569。 NCID BB22711659。
- “氷川神社【赤坂氷川神社】”. 東京都神社庁. 2020年7月4日閲覧。
- “氷川神社社殿”. 東京都文化財情報データベース. 2022年5月24日閲覧。
- “港区文化財総合目録登録一覧”. 港区立郷土歴史館. 2020年6月4日閲覧。
関連文献
編集- 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 赤坂氷川社」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、139-142頁。NDLJP:1174144/74。
関連項目
編集外部リンク
編集東京十社(准勅祭社) | |||||
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社名 | 主祭神 | 鎮座地(東京都) | 近代 | 別表 | |
根津神社 (根津権現) |
須佐之男命 大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公 |
文京区根津 | 府社 | ||
芝大神宮 (芝神明宮、飯倉神明宮) |
天照皇大御神 豊受大御神 |
港区芝大門 | 府社 | ||
神田明神 (神田神社) |
大己貴命 少彦名命 平将門神 |
千代田区外神田 | 府社 | 別表 | |
日枝神社 (山王権現、麹町山王) |
大山咋神 | 千代田区永田町 | 官幣大社 | 別表 | |
亀戸天神社 (東宰府、亀戸天満宮) |
天満大神 天菩日命 |
江東区亀戸 | 府社 | ||
白山神社 | 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
文京区白山 | 郷社 | ||
品川神社 | 天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 |
品川区北品川 | 郷社 | ||
富岡八幡宮 (深川八幡) |
品陀和気命 | 江東区富岡 | 府社 | ||
王子神社 (王子権現) |
伊弉諾命 伊弉冉命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命 |
北区王子本町 | 郷社 | ||
氷川神社 (赤坂氷川神社) |
素盞鳴尊 奇稲田姫命 大己貴命 |
港区赤坂 | 府社 |