死亡遊戯
『死亡遊戯』(しぼうゆうぎ、原題:死亡遊戲、英題:Game of Death)は、1978年公開の香港映画。ブルース・リー主演。ゴールデン・ハーベスト(香港)作品。劇場公開された際の邦題は『ブルース・リー 死亡遊戯』。
死亡遊戯 | |
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死亡遊戲 / Game of Death | |
タジキスタンの切手のブルース・リー (死亡遊戯の写真) | |
監督 |
ロバート・クローズ ブルース・リー(アンクレジット) サモ・ハン・キンポー (アンクレジット) |
脚本 |
ジャン・スピアーズ (ロバート・クローズ/レイモンド・チョウ) |
製作総指揮 | レイモンド・チョウ |
出演者 |
ブルース・リー ギグ・ヤング ディーン・ジャガー コリーン・キャンプ ボブ・ウォール サモ・ハン・キンポー カリーム・アブドゥル=ジャバー アルバート・シャム(アンクレジット) |
音楽 | ジョン・バリー |
撮影 |
西本正(1972年) ゴッドフリー・A・ゴダー |
製作会社 | ゴールデン・ハーベスト |
配給 |
ゴールデン・ハーベスト 東宝東和 コロンビア ピクチャーズ |
公開 |
1978年3月23日 1978年4月15日 1979年6月8日 |
製作国 |
イギリス領香港 アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 広東語 北京語 |
配給収入 | 14億5000万円[1] |
次作 | 死亡の塔 |
ブルース・リーが1972年秋にクライマックスのアクション・シーンのみを撮影後中断、急逝により未完となった。五年の紆余曲折の後『燃えよドラゴン』の監督ロバート・クローズとサモ・ハン・キンポーを起用し、ハリウッドのキャストで脇を固め、リーの代役にユン・ワーやユン・ピョウを使って追加撮影して完成させた作品。日本ではヒットしたが、世界的にはそれほどのヒットにはならなかった。
ストーリー
編集ドクター・ランド(ディーン・ジャガー)率いる巨大国際シンジケート組織は有能なスポーツ選手や俳優などを終身契約にし暴利をあげていた。
ドクター・ランドは、世界的なアクション映画スター、ビリー・ロー(ブルース・リー)と、彼の恋人であり歌手でもあるアン・モリス(コリーン・キャンプ)に終身契約を迫る。ビリーは『ドラゴンへの道』撮影中に天井から照明が落下してくるなどの脅しを受けるが、かたくなに契約を拒否する。
しびれを切らしたランドはビリーの暗殺を命じ、『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストシーンの撮影中にスタッフのモデルガンが実銃に変えられ、ビリーに弾が命中してしまう。ビリーの葬儀が盛大にとりおこなわれたが、実はビリーは一命を取りとめ自分を死んだことにし、ランドへの復讐の機会を窺っていたのである。
そんな折、マカオで世界空手大会が開催され、ランドは子飼いの空手チャンピオンを派遣して優勝させる。試合後、ビリーは老人に変装してロッカールームに忍び込み、チャンピオンを倒す。ランドはビリーの死に疑問を抱き始め、ビリーの墓を掘り返すが、埋葬されていたのは人形であった。ビリーが死んでいないことを知ったシンジケートはアンを誘拐し、ビリーはランドの本拠である五重の塔に乗り込むが、各階には武術の達人たちが待ち受けていた。ビリーは1階でフィリピン人とヌンチャクで勝負し、2階では合気道の達人に挑戦し、3階では身長2メートルを超えるアメリカ人格闘家と決闘する。各層を突破したビリーは、ドクター・ランド打倒に成功するのだった。
出演
編集役名 | 俳優 | 日本語吹替 |
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日本テレビ版 | ||
ビリー・ロー | ブルース・リー ユン・ワー(スタント役) ユン・ピョウ(スタント役) タン・ロン(スタント役) アルバート・シャム(会話シーンのスタンドイン)[2][3] |
津嘉山正種 |
アン・モリス | コリーン・キャンプ | 土井美加 |
ジム・マーシャル | ギグ・ヤング | 宮川洋一 |
ドクター・ランド | ディーン・ジャガー | 大木民夫 |
スタイナー | ヒュー・オブライエン | 森山周一郎 |
カール・ミラー | ボブ・ウォール | 仲木隆司 |
スティック | メル・ノヴァク | 筈見純 |
ハキム | カリーム・アブドゥル=ジャバー | 田中崇 |
パスカル | ダニー・イノサント | 寺田誠 |
チャーリー | ジェームス・ティエン | 石森達幸 |
合気道の達人 | 池漢載 | - |
カールの試合相手 | サモ・ハン・キンポー | - |
ヘンリー・ロー | ロイ・チャオ | 藤本譲 |
スタッフ
編集- プロデューサー:レイモンド・チョウ
- 監督:ロバート・クローズ
- 音楽:ジョン・バリー
- 武術指導:サモ・ハン・キンポー
- 国際版歌曲:「Will This Be The Song I'll Be Singing Tomorrow」 作詞曲 - ジョン・バリー、歌 - コリーン・キャンプ
- 香港版主題歌:「死亡遊戯」 作詞 - 黃霑、作曲・編曲 - 顧嘉煇、歌 - ロマン・タム(羅文)
- 英語版のセリフ及び「怪鳥音」はアメリカ人のクリストファー・ケントが担当している。
- 日本語字幕:清水俊二(劇場公開版)
製作
編集ブルース・リーの死後、この未完映画は『死亡遊戯』というタイトルで知られていたが、リー生存中の撮影時のタイトルは『死亡的遊戯』(The Game of Death) であった。1990年代に公開されたリー本人の原案ノートでもタイトルは『死亡的遊戯』となっており、それ以前、1978年公開時の『死亡遊戯』劇場用パンフレットにも、リー自身が「死亡的遊戯」と書いたカチンコを持っている写真がある(のちこの写真はしばらく「死亡的遊戯」の文字が消されたものが流布していた )。[要出典]未使用フィルムをもとに2000年に制作された大串利一監督の映画は『死亡的遊戯』のタイトルを使っている(正確なフルタイトルは『Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯』)。よって、完成映画作品としては1978年のクローズ監督版が『死亡遊戯』、2000年の大串監督版が『死亡的遊戯』となっている。
リー本人による撮影フィルムはおよそ100分程度であったと推定され、そのうち90分以上が現存している。O.K.テイクのみで35-40分程度になる。内容は、原案の設定となる五重塔内シーンがほぼすべてで、そのほかは数カットの野外シーンがあるのみであった[注 1]。本人による塔内クライマックスシーンは、リーとともにジェームス・ティエンとチェン・ユアン(解元)の3人の共演で撮影されたものであった。しかしこの2名が5年後の制作再開時に参加不可能[注 2]となっていたため、同じ展開をリー単独で行ったかのように編集処理されて使われた。またそのため一本の作品としては、致命的にフィルムが不足しているにもかかわらず、オリジナルフィルムのO.K.テイクの2/3以上がカットされる結果となった。
原案
編集「塔を登って行き、各階に待ち構える格闘家と対戦する」という漠然としたアイデアを元に撮影を始め、並行して台本の執筆も行っていたと言われる。『燃えよドラゴン』撮影終了直後に最終的な台本が完成したとされるがその台本の所在は明らかにされていない。
脚本
編集主役の登場人物ビリー・ローを映画スターに設定することによって、ブルース・リーの過去の映画のシーンを流用しながらストーリーを進めている。例えばビリー・ローが銃撃されるシーンは『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストシーンの撮影時という設定になっている。
流用シーン・撮影
編集随所にリーの過去の映画のワンシーンからのカットが挿入されている。最後の戦闘シーン以外でのリーの顔のアップは他の映画から流用したものである。冒頭のシーンでスタイナー役のヒュー・オブライエンが鏡越しにビリー・ローを脅迫するシーンは、鏡にリーの写真を貼りつけて撮影しているが、このような編集が随所に見られる。2010年発売のBlu-ray Discで鑑賞すると、高画質のためにそのような編集をよく確認することができる。
配役
編集映画最大の見せ場である長身のハキムとの死闘。そのハキムを演じるカリーム・アブドゥル=ジャバーはNBAのレイカーズで活躍していた名選手であるが、リーがアメリカ時代に拳法を教えていた弟子でもあり、たまたま香港に休暇の為に滞在中、リーからの出演の依頼を受けた[4][注 3]。
棒術の達人として出演したダニー・イノサントはリーが編み出した拳法である截拳道(ジークンドー)の弟子でもあり、エスクリマをリーに教えた師匠でもある。リーの死後、截拳道の正式な継承者となった。
池漢載(チー・ハンツァイ)は韓国空手の猛者で、撮影中「倒されて絶命する」という設定に、韓国人武闘家としてのプライド[注 4]ゆえか猛烈な異議を唱え、結局倒されるものの絶命まではハッキリと描写されなかった。なお、池の拳法は流派としてマイナーな事もあり、映画解説本では空手やテコンドーなどとされている事が多いが、正確にはハプキドー(合氣道[注 5])の使い手である。
未使用のフィルム
編集劇中で使用されていないシーンの写真(リーが野原で大勢の相手と闘っている場面、ソックリさんと思われる俳優が『燃えよドラゴン』のリーの服装でボブ・ウォールと闘っている場面など)が幾つか存在している。野原のシーンでは、ダニー・イノサント、池漢載が闘うシーンのフィルムが現存している[注 6]。
バージョン違い
編集香港公開版と、日本公開版を含む国際版とは差違が多い。有名な“温室の決闘”シーンは国際版では観ることができなかった。中国語版海報(ポスター)では卡薩伐として堂々とクレジットされているカサノヴァ・ウォン扮するラウ・イーチュン(劉野川)なる刺客がビリー・ローに挑戦状をたたきつけるというものだが、後に『死亡の塔』に流用されたため、日本ではやっと日の目を見ることができた。このシーンでは、カサノヴァ・ウォンが空中で開脚しながら同時に左右の標的を蹴るという他の作品ではお馴染みのレッグ・アクションも披露する。
日本公開版について
編集本作は、日本側独自で編集した日本公開版がある。クリス・ケントの怪鳥音を、ブルース・リーが出演した作品の怪鳥音を寄せ集めたものと入れ替えた。また、池漢載が広東語で喋るシーンがある[注 7]。
ドキュメンタリー
編集オリジナルフィルムは長らく幻となっていたが、2000年に日本の映画会社が権利を購入し、一部再現フィルムを交えた半ドキュメンタリータッチの作品『Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯』を制作・公開したほか[注 8]、同様に同フィルムの権利を取得したワーナーが『ブルース・リー : ウォリアーズ・ジャーニー(Bruce Lee: A Warrior's Journey)』のタイトルでドキュメンタリー映画化している。本作と、この2本とでは、同じシーンであっても違うテイクが多用されていることがわかる。オリジナルフィルムには同一シーンの別テイクが多数存在しており、この2作では1978年完成版である『死亡遊戯』との差別化を図るため、意図的に『死亡遊戯』と異なるテイクを多数選択している。
コミカライズ
編集守谷哲巳作画で週刊少年チャンピオン1978年4月15日増刊に掲載。
関連作品
編集- ブルース・リー神話
- 死亡の塔
- Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯
- 新死亡遊戯 七人のカンフー - 本作の情報をキャッチし、プロットを拝借して本作の公開前にブルース・リーのそっくりさん俳優ブルース・リィ主演で作られた1975年の香港映画。
- 武闘拳 猛虎激殺! - 東映が本作の情報をキャッチし、プロットを拝借して1976年に製作した映画。
- シティーハンター - 1993年の香港映画。日本の漫画『シティーハンター』が香港で実写化されたもの。リーの『死亡遊戯』の映像をバックにジャッキー・チェン扮する主人公・冴羽が戦うシーンがある。
- キル・ビル - 2003年の米国映画。『死亡遊戯』のトラックスーツ・デザインを流用したジャージが使用される。
- 復活 死亡遊戯 - 2003年の香港映画。石天龍(シー・テンロン、ドラゴン・セキ)主演。ストーリーは無関係。
- 阿呆遊戯 ブルース・リーを探せ! - 2007年の米国映画。『死亡遊戯』の代役探しのオーディションを記録した幻のメイキング・フィルムという設定で描くフェイクドキュメンタリー・コメディ。
脚注
編集注釈
編集- ^ なお野外シーンと塔内シーンの冒頭は後にネガフィルムが焼却処分され現存しないとされる。
- ^ 特にユアンは前年の1977年にリーの死因と同じ脳浮腫で急死していた。
- ^ リーとジャバーが背比べした立看ポスターは現存数が少ない。
- ^ 池は『死亡遊戯』出演以前の時点で韓国大統領朴正煕のボディガードを務め、師である崔龍述(チェ・ヨンス)が創始したハプキドーの技術体系を今日伝わる形に改良するなど、韓国の武術界でもかなりの有力者であった。
- ^ 大東流合気柔術を下敷きに、他の打撃格闘技のエッセンスを取り入れて大成した流派で、日本の合気道とは直接は関連がない。
- ^ ゴールデン・ハーベスト社が、リー10周忌の1983年に製作したドキュメント映画『ブルース・リー神話』に収録されている。
- ^ 池漢載との闘いのシーンは東宝東和が公開1週間前になって香港から取り寄せた為、リーの怪鳥音が主に『燃えよドラゴン』のアウトテイクから編集された物、池漢載が広東語で喋る台詞に英語字幕が付いていた。そのためこのファイトシーンのみ国際版とBGM及び音声が異なっている。
- ^ アクション・シーンのみは現存する未使用フィルムからほぼ完全な形で編集されている。
出典
編集- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)370頁
- ^ 関西発! BL★ドラたま遊戯 ~【クローズ版『死亡遊戯』ダブルはいったい何人だ!?】
- ^ 叔父=ヘンリー・ローの楽屋での会話シーン
- ^ ドラゴン・リーのブルース・リー的こころ ~死亡遊戯の雑学:ジャバール採用の背景
関連項目
編集- 辰吉丈一郎 - 日本のプロボクサー。『死亡遊戯』のテーマ曲を自身のリング入場曲に使っている。