正木義断
正木 義断(まさき よしたつ)は、戦国時代後期の武将。安房里見氏の一族。里見義頼の子とされている。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 源七郎 |
官位 | 淡路守 |
主君 | 里見義康→忠義 |
氏族 | 安房里見氏→安房正木氏 |
父母 | 父:里見義頼 母:不詳 |
兄弟 |
里見義康、時茂、里見忠重、里見康俊、 義断、忠勝、女(奥平忠政室) |
生涯
編集正木頼時の養子となり、正木淡路守家を継ぐ。天正5年(1578年)、里見氏と後北条氏が和睦すると上総国百首城に移った。 1606年の分限帳では家臣団中2位の高さとなる3355石を一門衆として知行されている。里見家の改易後は、徳川家臣・内藤家長の娘を妻とし内藤家に仕えた。
参考文献
編集- 川名登『房総里見一族』(増補改訂版)新人物往来社、2008年。ISBN 4404035225。