檜山豊
日本の俳優、作家、脚本家、元お笑い芸人
檜山 豊(ひやま ゆたか、1976年10月16日 - )は日本の俳優、作家、脚本家、元お笑い芸人。
本名 | 檜山 豊(読み同じ) |
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生年月日 | 1976年10月16日(48歳) |
出身地 | 日本・茨城県日立市 |
血液型 | O型 |
身長 | 170cm |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 日本映画学校俳優科 |
出身 | 日本映画学校 |
コンビ名 | ホーム・チーム(1996年 - 2010年) |
相方 | 与座嘉秋(コンビ時代) |
芸風 | コント、漫才(共にツッコミ)(コンビ時代) |
立ち位置 | 右(コンビ時代) |
事務所 | マセキ芸能社(1996年 - 2010年) |
活動時期 |
1996年 - 2010年 2014年 - |
同期 |
ドランクドラゴン バイきんぐ カラテカなど |
他の活動 | 俳優 |
配偶者 | なし(離婚歴あり) |
公式サイト | チーム・ギンクラ |
来歴・人物
編集茨城県立日立工業高等学校卒業。元サッカー日本代表の鈴木隆行は高校の同級生。
日本映画学校俳優科在学中に同期の与座嘉秋を誘い、1996年にお笑いコンビホーム・チームを結成[1]。コンビ時代はマセキ芸能社に所属。
2007年10月22日のトークライブにて結婚を報告。2008年3月8日に長男が誕生。2012年4月、離婚を発表[2]。
2010年12月29日にコンビを解散、同時に芸能界を引退。引退後は当時の妻の地元である三重県に住み、名古屋の芸能事務所でマネージャー業に従事。その後はロボットアームのスピードを抑える歯車製造工場に1年ほど勤務し、離婚後は東京へ戻り保険会社に勤務していた[3]。
2012年、映画『死ガ二人ヲワカツマデ… 第二章 「南瓜花 -nananka-」』の脚本を手がける[2]。
以前Wikipediaには「元々は俳優志望」と書かれていたが、実際は小学生の頃から芸人志望だった[4]。「夢で逢えたら」を見たことがきっかけでダウンタウンとウッチャンナンチャンを好きになり、この2組の番組は全て録画していた[4]。その後「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」「ダウンタウンのごっつええ感じ」を見てダウンタウンへの憧れが強まり、茨城県出身にもかかわらず結成当初は関西弁でツッコミを入れていた[5]。
ホーム・チーム結成前は別の同期とコンビを組みボケを担当していた[6]。
出演
編集コンビ時代の出演については、こちらを参照。
バラエティ
編集- 有田とマツコと男と女 元芸能人50人が業界裏話を大暴露SP(TBS、2012年4月19日)引退後に元芸能人として出演
インターネット
編集ドラマ
編集映画
編集- 雨あがる(2000年)[1]
- 恋人はスナイパー(2004年)
- 日掛け金融地獄伝 こまねずみ常次朗(2006年)
脚注
編集- ^ a b c d "『ドラフトコント2021』はドラフト部分のワクワク感が秀逸!元芸人が全ネタ分析". 日刊サイゾー. 株式会社サイゾー. 1 December 2021. 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b “元ホーム・チームの檜山豊、芸能界復帰をキッパリ否定…9月公開映画で脚本執筆”. CINEMATODAY. 2012年7月31日閲覧。
- ^ “元『ホーム・チーム』檜山豊に話を聴こう!パート①【辞めてから愛知の芸能事務所のスタッフに…】”. YouTube (2020年9月22日). 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b ““ダウンタウン病”の元芸人が語る久しぶりの漫才を見てダウンタウンのお笑いがすごいワケ”. 日刊サイゾー (2022年4月11日). 2022年10月27日閲覧。
- ^ ““ダウンタウン病”の元芸人が語る久しぶりの漫才を見てダウンタウンのお笑いがすごいワケ”. 日刊サイゾー (2022年4月11日). 2022年10月27日閲覧。
- ^ “元ホームチーム・与座よしあきのマセキ退所に相方が送るエールと思い出”. 日刊サイゾー. 株式会社サイゾー (2022年12月24日). 2023年9月17日閲覧。
外部リンク
編集- 檜山豊 (@hiyama_yutaka) - X(旧Twitter)
- チーム・ギンクラ
- 日刊サイゾーのWEBコラム