橋上義孝
橋上 義孝(はしがみ よしたか、1930年〈昭和5年〉3月30日[1][2] - 2012年〈平成24年〉11月17日[2])は、日本の政治家。大阪府河内長野市長(3期)。
経歴
編集大阪府出身[1]。近畿大学法学部卒。河内長野市議会議員、同議長を経て、1996年〈平成8年〉の河内長野市長選挙に立候補し、当選[3]。2000年〈平成12年〉、2004年〈平成16年〉と連続当選(2004年は無投票当選)[3]。
在任中は市内にふれあい考古館の開館、シンボルキャラクターのデザインと愛称の決定、市のホームページ開設、南河内清掃施設組合第2清掃工場の稼働、子育て支援センターの開設、市民交流センターと図書館の開館、市の第4次総合計画策定、子ども教育支援センター(川谷会館)の設置などがある[4]。
2008年〈平成20年〉に市長を任期満了により退任。2012年〈平成24年〉に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『地方選挙総覧 <知事・市長・特別区長> 平成篇 1989-2019』日外アソシエーツ、2019年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。