森 寛紹(もり かんしょう、1899年明治32年) - 1994年平成6年))は、高野山真言宗管長俳人金剛峯寺406世座主。関西大学法学部卒業。高野山大学文学部卒業。愛媛県出身。

森 寛紹
1899年明治32年) - 1994年平成6年)
法名 寛紹
生地 兵庫県
宗派 高野山真言宗
寺院 金剛峰寺
宝聚院
普賢院
著作 「弘法大師と其の教」「三教持帰講義」、「高野」、「仏法僧」
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生涯

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愛媛県出身。1926年大正15年)に関西大学法学部を卒業。1930年昭和5年)、高野山大学密教学科を卒業[1]

1942年昭和17年)に普賢院の住職となり、後に宝聚院住職となる。1980年(昭和55年)に金剛峯寺第406世座主となり、後に高野山真言宗の管長に就任する[1]

高浜虚子富安風生の知遇を得て、1949年(昭和24年)に「ホトトギス」の同人、1952年(昭和27年)には「若葉」の同人となる。著書に「弘法大師と其の教」「三教持帰講義」、句集に「高野」、「仏法僧」などがある[2][3]

著書

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  • 『弘法大師と其の教』
  • 『三教持帰講義』
  • 『句集 高野』
  • 『句集 仏法僧』

脚注

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  1. ^ a b 『空海と真言密教』読売新聞社、1982年[要ページ番号]
  2. ^ 『年刊人物情報事典』日外アソシエーツ、1981年[要ページ番号]
  3. ^ 高野山の四季、俳句にしてね♡普賢院の芭蕉堂~家族連れら生涯の思い出に”. 橋本新聞. 2024年6月12日閲覧。
先代
高峰秀海
高野山金剛峯寺座主
第406世:1980年 - 1985年
次代
阿倍野竜正