松林久吉
日本の寄生虫学者
松林 久吉(まつばやし ひさきち、1907年(明治40年)9月7日 - 1978年(昭和53年)7月11日)は、日本の医師、医学博士、寄生虫学者。
経歴
編集山口県萩市の旧家真鍋家に生まれ、少年時代に東京に出て、のちに同じ萩出身の高名な日本画家・松林桂月の家に入って松林と姓を改めている。
- 昭和6年(1931年)慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学医学部卒業。ただちに台湾総督府中央研究所より来任した小泉丹主宰・医学部寄生虫学教室入室。
- 昭和12年(1937年)腸管寄生性原虫研究後、同大学講師。
- 昭和13年(1938年) 慶應義塾大学医学博士 「穎虫類の研究」。
- 昭和18年(1943年)同大学助教授。ニューブリテン島ラバウル研究出張。
- 昭和23年(1948年)同大学教授。
- 昭和27年(1952年)東京寄生虫予防協会理事長。
- 昭和32年(1957年)チャイナ・メディカル・ボード奨学金によりチュレーン大学熱帯病・寄生虫病学教室入室、ポール・ビーバー教授に師事。
- 昭和38年(1963年)日本学術会議会員、医学視学委員、大学設置審議会専門委員等に就任。
- 昭和43年(1968年)野口英世記念医学賞受賞。
- 昭和45年(1970年)米軍統治下の沖縄、琉球大学保健学部初代学部長として赴任。
- 昭和48年(1973年)防衛庁の医科大学校開校構想の下、防衛庁の顧問として聘され、創設準備を進める。
- 昭和49年(1974年)防衛医科大学校開校に伴い、初代学長に就任。
- 昭和53年(1978年)葬儀は防衛医科大学校葬儀として荘重に執り行われる。享年70。
関連項目
編集参考文献
編集- 『慶應義塾大學醫學部六十周年記念誌』