松本本松

明治から昭和期の医学者、政治家、華族

松本 本松(まつもと もとまつ、1885年明治18年)11月19日[1] - 1961年昭和36年)4月14日[1][2])は、明治から昭和期の医学者政治家華族貴族院男爵議員医学博士[2]

松本本松

経歴

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陸軍軍医総監松本順(良順)の八男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1907年(明治40年)4月19日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1910年(明治43年)東京慈恵会医院医学専門学校を卒業した[2][3]1916年(大正5年)からアメリカ合衆国イギリスフランスドイツ帝国スイスに留学した[2][3]1923年(大正12年)2月26日、東京帝国大学から医学博士の学位が授与された[6]

1911年(明治44年)東京帝国大学医学部嘱託となり、以後、順天堂医院耳鼻咽喉科長、東京医学専門学校教授兼同附属淀橋病院耳鼻咽喉科長、順天堂医学専門学校教授、同理事、女子美術専門学校評議員などを務めた[2][3]

1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7][8]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

栄典

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著作

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  • 『順天堂百五十年史』東京医事新誌局、1959年。

親族

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  • 妻:ワカ(津田知寛三女、野村エイ養女)[1]
  • 長男:銈太(医学博士)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』649頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』85頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』マ126-127頁。
  4. ^ 『大日本華族大鑑』185頁。
  5. ^ 『官報』第7139号、明治40年4月20日。
  6. ^ 『官報』第3176号、大正12年3月5日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  8. ^ 『官報』第5846号、昭和21年7月11日。
  9. ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
松本順
男爵
松本(順)家第2代
1907年 - 1947年
次代
華族制度廃止