松平信義 (又右衛門)
日本の江戸時代の旗本
松平 信義(まつだいら のぶよし)は、江戸時代前期から中期の旗本。堅綱系大河内松平家2代。
時代 | 江戸時代前期‐中期 |
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生誕 | 慶安4年(1651年) |
死没 | 元禄7年7月7日(1694年8月27日) |
改名 | 正氏→信義 |
別名 | 鍋之助→又左衛門→頼母→又右衛門 |
戒名 | 江心院殿覚翁道夢居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 |
父:大河内重綱 母:関氏盛の娘 養父:松平堅綱 |
兄弟 |
大河内信久、関久盛、信義、秋之助 大河内政真、女 |
妻 | 霊照院(天野長重の娘) |
子 | 養子:信連 |
慶安4年(1651年)に大河内宗家14代・大河内重綱の三男として江戸で生まれる。寛文5年(1665年)12月11日に松平堅綱の遺領を相続する。寛文9年(1669年)3月25日に書院番となる。元禄5年(1692年)6月27日に徒頭となり、12月18日に布衣の着用を許される。元禄7年(1694年)7月7日に死去。享年44。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十七
- 『平林寺史』(春秋社、1988年)ISBN 9784393148037