李恵宗
李朝大瞿越8代皇帝
李恵宗(りけいそう、越:Lý Huệ Tông、在位:1210年 - 1224年)は、李朝の第8代皇帝。諱は旵(サム、越:Sảm)、また『元史』では昊旵と書かれる。第7代皇帝高宗の子。
恵宗 李旵 | |
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李朝 | |
第8代皇帝 | |
国号 | 大越 |
王朝 | 李朝 |
在位期間 | 1210年11月15日 - 1224年10月 |
都城 | 昇龍(タンロン、現ハノイ) |
姓・諱 | 李旵 |
廟号 | 恵宗 |
生年 | 天資嘉瑞9年(1194年) |
没年 |
建中2年8月10日 (1226年9月3日) |
父 | 高宗 |
母 | 安全皇后譚氏 |
后妃 | 順貞皇后陳氏 |
元号 | 建嘉 : 1211年 - 1224年 |
経歴
編集治平龍応5年(1209年)、内乱によって父の高宗とともに都を追われた際、陳李・陳嗣慶によって皇帝に擁立されたことがある(『大越史略』)。翌年、父の死去で正式に即位したが、父同様に暗愚な人物で国政を顧みなかったため、外戚の陳守度に政治の実権を握られた。
建嘉4年(1224年)、皇位の簒奪を目論む陳守度によって廃され、自身の次女でわずか7歳の李昭皇を擁立される。建中2年(1226年)、邪魔者となった恵宗は、陳守度によって自殺に追い込まれた。
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