朽木貞綱
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文明17年7月17日(1485年8月27日) |
別名 | 弥五郎[1][2] |
氏族 | 朽木氏 |
父母 | 父:朽木貞高 |
妻 | 冷泉局(甘露寺親長娘、万里小路春房妹) |
子 | 材秀(貞清) |
経歴
編集室町幕府奉公衆[2]。父の跡をついで近江高島郡朽木荘を知行した[2]。幕府の信任を得、足利義尚供菜料所を預けられた[2]。室の兄で失脚した万里小路春房と幕府の重鎮であった伊勢貞親を匿っている。
脚注
編集参考文献
編集- 阿部猛; 西村圭子『戦国人名事典』新人物往来社、1987年。ISBN 4404014120。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。