日笠勝之

日本の政治家 (1945-)

日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、日本政治家株式会社桜梅桃里取締役会長。

日笠勝之
ひかさ かつゆき
生年月日 (1945-07-04) 1945年7月4日(79歳)
出生地 岡山県津山市
出身校 慶應義塾大学商学部
前職 公明党職員
参議院議員
所属政党 (公明党→)
新進党→)
(公明→)
公明党

日本の旗 第58代 郵政大臣
内閣 羽田内閣
在任期間 1994年4月28日 - 1994年6月30日

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 1998年 - 2004年

選挙区 旧岡山1区
当選回数 4回
在任期間 1983年 - 1996年
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郵政大臣第58代)、参議院法務委員長参議院議員(1期)、衆議院議員(4期)等を歴任した。

来歴・人物

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岡山県津山市生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。大学卒業後は聖教新聞社公明党創価学会の職員を務める。

1983年第37回衆議院議員総選挙旧岡山県第1区から公明党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。1994年、公明党も参加した非自民連立政権羽田内閣郵政大臣に任命され初入閣を果たしたが、羽田内閣は日本社会党の連立離脱によりわずか64日で退陣に追い込まれた。公明党解党に伴い、新進党結党に参加。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い新設された岡山1区から新進党公認で出馬したが、自由民主党逢沢一郎に敗れ、落選した。新進党は1997年に解党。

1998年第18回参議院議員通常選挙比例区から公明[1]公認で出馬し、当選。2000年参議院法務委員長に就任。2004年第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退。2005年株式会社桜梅桃里を設立し代表取締役に就任した。

政策

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エピソード

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初めて郵政大臣室に入室した際、切手がどこにもないことに気づき、「郵政大臣室に切手がないのはおかしい」と、逓信博物館に日本で最初の切手である竜文切手4種を提供してもらい、額に入れて机に飾ったという[2]

脚注

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  1. ^ 公明党は1994年に新進党に合流する際、新進党に合流する公明新党(衆院議員が中心)、新進党に合流しない公明(参院議員が中心)の2党に分党し、新進党解党後、衆院議員中心の新党平和、参院議員中心の黎明クラブがそれぞれ結成され、1998年の参院選直前に黎明クラブが公明に合流した。
  2. ^ 郵趣』(日本郵趣協会)1994年8月号、15頁


議会
先代
風間昶
  参議院法務委員長
2000年 - 2001年
次代
高野博師
先代
福本潤一
  参議院災害対策特別委員長 次代
風間昶
公職
先代
神崎武法
羽田孜臨時代理
  郵政大臣
第58代:1994年
次代
大出俊