新御三家
男性アイドル歌手の郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の総称
新御三家(しんごさんけ)は、1970年代にトップ男性アイドル歌手として歌謡界を席巻した、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の3人を指す総称である。それ以前に橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦が『御三家』と呼ばれていたことに倣った呼称である。
新御三家となった経緯に関して野口は「僕がデビューし、翌年に郷と西城がデビューしたが西城がいくぶん出遅れた。西城の事務所で西城と他の2人で新御三家というキャッチフレーズでデビューしたが、西城のマネージャーが別事務所の郷と僕を合体させて新御三家にした。事務所も違うので番組などでぶつけ合ってファン獲得をした」[1]と語っている。
平尾昌晃は「南沙織、小柳ルミ子、天地真理たち三人娘の笑顔がテレビの画面を独占した昭和47年頃、GSに替わる男性アイドルたちが次々登場した。"アイドル"という言葉が使われるようになったのはこの頃だが、特に男性歌手がアイドルと呼ばれるようになったのは、この時代からだ。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の『御三家』が人気絶頂の時代でも、彼らはアイドルではなかったし、ザ・タイガースやザ・テンプターズにも、マスコミは彼らをアイドルとは言わなかったからだ。その男性アイドルの先駆けが、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の"新御三家"だ」などと論じている[2]。
新御三家の活躍をみた小西良太郎は1975年の芸能誌で「旧御三家の噂は途絶えがちだし、新御三家から"新"を取って、こちらが御三家でいいんじゃないか」と評している[3]。
概要
編集名前 | 生年月日 | 出身地 | デビュー曲 | デビュー時のキャッチフレーズ |
---|---|---|---|---|
郷ひろみ | 1955年10月18日(69歳) | 日本 福岡県糟屋郡須恵町 | 「男の子女の子」 (1972年8月1日発売) |
「フォーリーブスの弟」 |
西城秀樹 | 1955年4月13日 - 2018年5月16日(63歳没) |
日本 広島県広島市 (現:東区)東蟹屋町 |
「恋する季節」 (1972年3月25日発売) |
「ワイルドな17歳」 |
野口五郎 | 1956年2月23日(68歳) | 日本 岐阜県美濃市 | 「博多みれん」 (1971年5月1日発売) |
「かわいらしい演歌ホープ[注 1]」 |
代表曲
編集初のオリコン週間シングル・ベスト20入り曲
編集西城秀樹
- 恋の約束(1972年)
初のオリコン週間シングル・ベストテン入り曲
編集郷ひろみ
- 男の子女の子(1972年)
- 〜以降34曲がベストテン入り
野口五郎
- オレンジの雨(1973年)
- 〜以降21曲がベストテン入り
オリコン週間シングル・第1位獲得曲
編集受賞経歴(日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本有線大賞)
編集- 1972年
- 郷ひろみ:レコード大賞・新人賞「男の子女の子」
- 1973年
- 1974年
- 西城秀樹:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞「傷だらけのローラ」、有線大賞・大衆賞「激しい恋」
- 1975年
- 野口五郎:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞、有線大賞・大賞「私鉄沿線」
- 1976年
- 郷ひろみ:レコード大賞・大衆賞「あなたがいたから僕がいた」
- 西城秀樹:レコード大賞・歌唱賞「若き獅子たち」
- 野口五郎:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞「針葉樹」、有線大賞・有線功労賞「むさし野詩人」
- 1977年
- 野口五郎:歌謡大賞・放送音楽賞「風の駅」
- 1978年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「ブルースカイ ブルー」
- 野口五郎:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「グッド・ラック」
- 1979年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「勇気があれば」、歌謡大賞・大賞、有線大賞・有線音楽賞「YOUNG MAN」
- 野口五郎:歌謡大賞・放送音楽賞「青春の一冊」
- 1980年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「サンタマリアの祈り」
- 1981年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽賞「お嫁サンバ」
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「センチメンタルガール」
- 1982年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「聖・少女」
- 1983年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「ギャランドゥ」
- 1994年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽優秀賞「言えないよ」
- 1995年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽優秀賞「逢いたくてしかたない」
- 1999年
- 郷ひろみ:レコード大賞・最優秀歌唱賞、有線大賞・有線音楽優秀賞「GOLDFINGER '99」
NHK紅白歌合戦出場曲
編集郷ひろみ
- 男の子女の子(1973年)
- 花とみつばち(1974年)
- 花のように鳥のように(1975年)
- あなたがいたから僕がいた(1976年)
- 悲しきメモリー(1977年)
- バイブレーション(1978年)
- マイレディー(1979年)
- How many いい顔(1980年)
- お嫁サンバ(1981年)
- 哀愁のカサブランカ(1982年)
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年)
- 2億4千万の瞳(1984年)
- Cool(1985年)
- Wブッキング(1990年)
- 言えないよ(1994年)
- 逢いたくてしかたない(1995年)
- 2億4千万の瞳(1996年)
- お嫁サンバ(1997年)
- セクシーユー(1998年)
- GOLDFINGER '99(1999年)
- なかったコトにして(2000年)
- この世界のどこかに(2001年)
- 紅白スペシャルメドレー(2010年)
- Go Smile Japan!!(2011年)
- デンジャラー☆(2012年)
- Bang Bang(2013年)
- 99は終わらない(2014年)
- 2億4千万の瞳(2015年)
- 言えないよ(2016年)
- 2億4千万の瞳(2017年)
西城秀樹
- 傷だらけのローラ(1974年)
- 白い教会(1975年)
- 若き獅子たち(1976年)
- ボタンを外せ(1977年)
- ブルースカイ ブルー(1978年)
- YOUNG MAN(1979年)
- サンタマリアの祈り(1980年)
- ジプシー(1981年)
- 聖・少女(1982年)
- ギャランドゥ(1983年)
- 抱きしめてジルバ -Careless Whisper-(1984年)
- YOUNG MAN(1994年)
- YOUNG MAN(1995年)
- moment(1997年)
- 傷だらけのローラ(1998年)
- Bailamos 〜Tonight we dance〜(1999年)
- ブルースカイ ブルー(2000年)
- Jasmine(2001年)
出演番組
編集夜のヒットスタジオ
編集- 1970年代後半 - 1980年代前半にかけては、原則として3人のうち最低でも誰か1人が毎週『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にゲスト出演した。
- この3人の中でもっとも出演回数が多いのは西城の188回(これは五木ひろしの222回、森進一の204回に続き歴代出演歌手全体を通じても3位に位置する多さである)で、次いで郷が175回であり、最も早く初出演した野口は123回となっている。
- 最多マンスリー歌手は郷の3回になっている。
NTV紅白歌のベストテン
編集- 『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)には同様に3人が毎週交代で出演し、野口が番組の歴代最多回数出演歌手になっている。
ザ・ベストテン
編集- 『ザ・ベストテン』(TBS系)には第1回から3人が揃って登場し、最初(第10位)の登場歌手は野口だった。
- 西城は「ブーツをぬいで朝食を」以降22曲(154週)登場し、ついで郷が「禁猟区」以降15曲(117週)、野口は「風の駅」以降9曲(41週)登場した。ちなみに同じ期間(1978年1月19日から1989年9月28日まで)のオリコンチャートには、西城は17曲、郷は10曲、野口は3曲がトップ10入りしている。
関連人物
編集関連項目
編集脚注
編集注釈
編集- ^ ポップス歌手に転向して後には「青い木の芽の、はだざわり」に変更する。
出典
編集- ^ https://www.youtube.com/watch?v=8Er09sLi_SA&t=73s 『ダウンタウンなう』野口五郎 昭和のトップアイドル 野口五郎 新御三家のヒミツ
- ^ 平尾昌晃「第四章 昭和40年代後半 情熱の嵐(昭和48) たかたかし作詞 鈴木邦彦作曲 馬飼野康二編曲 西城秀樹 歌 (RCA/ビクター)」『昭和歌謡1945-1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂出版〈廣済堂新書〉、2013年、175–177頁。ISBN 9784331517710。
- ^ 小西良太郎「歌は世につれ世は歌につれ 歌謡特集(2) 『不況の中の'74年歌謡曲やぶにらみ考』」『スタア』1975年1月号、平凡出版、227–231頁。