斯波忠三郎
日本の明治時代前期~昭和時代前期の男爵・政治家・教育者・船舶工学者。男爵斯波蕃長男で、津田玄蕃家13代当主。従三位
斯波 忠三郎(しば ちゅうざぶろう、明治5年3月8日[1](1872年4月15日) – 1934年(昭和9年)10月3日[1])は、日本の船舶工学者、東京帝国大学教授。貴族院男爵議員。
経歴
編集男爵斯波蕃の長男として生まれ、1907年(明治40年)3月18日に男爵を襲爵した[2]。1894年(明治27年)、東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業。大学院に進み、1896年(明治29年)に同大学助教授となった。1899年(明治32年)からイギリス・フランス・ドイツに留学し、1901年(明治34年)に帰国。直ちに教授に任命され、後に3度にわたって評議員を務めた。1902年(明治35年)には工学博士号を取得。1906年(明治39年)から海軍大学校教授も兼ね、機関将校の育成に当たった。その他、特許局審判官、日本機械学会評議員・会長、日本海事協会評議員・監事・理事・理事長、帝国飛行協会評議員・理事などを務めた。
1917年(大正6年)11月17日に貴族院議員補欠選挙で男爵議員に選出され[3]、公正会に所属して活動し死去するまで在任した[4]。
1923年(大正12年)、航空研究所所長に就任。1932年(昭和7年)に東京帝国大学を退官し、翌年に名誉教授となった。
1931年(昭和6年)に南満州鉄道株式会社顧問に就任し、さらに技術局の創設とともに技術局長となった。技術局長として、満州化学工業株式会社・日満マグネシウム株式会社を創設し、それぞれ社長に就任した。
栄典
編集著書
編集- 『蒸汽機関』(大倉書店、1906年)
親族
編集脚注
編集- ^ a b 「故斯波忠三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114262700
- ^ 『官報』第7113号、明治40年3月19日。
- ^ 『官報』第1590号、大正6年11月19日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』73頁。
- ^ 『官報』第5159号「叙任及辞令」1900年9月11日。
- ^ 『官報』第8657号「叙任及辞令」1912年5月1日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1922年7月1日。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、718-719頁。
- ^ 人事興信所 1928, シ116頁.
- ^ 人事興信所 1911, す59頁.
- ^ 『学界異聞』大塚虎雄、先進社、1931年、p146
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年 。
- 「故斯波忠三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114262700
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 斯波蕃 |
男爵 斯波(蕃)家第2代 1907年 - 1934年 |
次代 斯波正夫 |