戸川 安貞(とがわ やすさだ、寛文3年(1663年) - 正徳4年3月30日1714年5月13日)は、江戸時代前期から中期の幕臣旗本)・知行3000通称は平吉、のち三左衛門、内蔵助。

先代・重明の子として生まれる。

元禄15年(1702年)3月、父の隠居により家督を相続する。その際、自身の知行高3400石のうち中島村の一部(岡山県倉敷市中庄の近辺)400石を弟の安通分知した。

父同様に新田開発に力を入れ、戸川安廣と共同で宝永4年(1707年)沖新田(倉敷市茶屋町)の開発に着手した。

旗本としては、御使番などを勤め、布衣の着用を認められている。

父に先立ち、正徳4年(1714年)3月30日に没した。跡目は弟で養子の安晴に継がせた。

系譜

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先代
戸川重明
早島戸川家当主
3代:1702年 - 1714年
次代
戸川安晴