慶子女王
慶子女王(よしこじょおう[1]、嘉禄元年(1225年) - 弘安9年(1286年))は、鎌倉時代の皇族。順徳上皇の皇女。
慶子女王 | |
---|---|
続柄 | 順徳天皇皇女 |
出生 |
嘉禄元年(1225年) 佐渡島 |
死去 |
弘安9年(1286年)(享年62) |
父親 | 順徳天皇 |
母親 | 右衛門督局(藤原範光の娘) |
承久の乱後、佐渡島に配流された順徳上皇が同島で右衛門督局(藤原範光の娘)との間に最初に儲けた子女である。和歌をよくし、弘安9年、62歳で没した。死後、島照大明神として祠が(現在の一宮(いっくう)神社)建てられた。また、生前御座所となった寺は女王に因み慶宮寺と呼ばれ、神社の別当寺となった。
和歌作品
編集- 松あれば佐渡ヶ島なる辛崎(からさき)もしかすがにこそ見まくほしけれ
注釈
編集- ^ 佐渡歴史伝説館の展示ではけいこじょおうとある。
参考文献
編集- 『畑野町史』